短編小説:藍色の雨
「藍色の雨」
3.さざ波

その日も雨だった。
会社帰り、傘をさしながら歩道を急ぐうちに、気がつけばまたあの店の前に立っていた。
雨粒を弾くガラス越しに見えたのは、深い青…吸い込まれそうな藍色のセーター。
心の奥が、不意に波立つ。
店に入ってセーターを手に取ると、背後から声がした。
「それ、私の色なんだよね」
振り返ると、やっぱりそこには藍子がいた。
今日の藍子は髪を無造作にまとめ、落ち着いたワンピース姿。
派手さはないのに、存在そのものが光を放っているように見えた。
この人そのものが輝いているんだ…
そして自分は、なんてつまらない人間なんだろうと
今さらながら、軽く失望する。
「あなたの色、ですか?」
思わず問い返すと、藍子はふっと笑った。
「わたし、アイコ。藍色の藍子」
その瞬間、胸の奥で何かがカチリと音を立てた。
名前を知ったことで、彼女の輪郭を得た気がした。
夢の中の出来事のような、曖昧な幻のようだった存在が
急に現実味を帯びてくる。
「似合うと思うよ、その色も」
藍子は軽やかに言った。
「でも、青は落ち着きすぎるかも。
あなたにはもっと、燃えるような色が似合う」
私は無意識に視線をそらしていた。
自分の中の開けて欲しくない扉を、藍子にあけられるような気がした。
平凡で目立たず地味に無難に・・・
それはずっと私が選んできた道。
けれど藍子に「それでいいの?」と言われた気がした。
気づけば、胸の奥でふたつの声が響いていた。
「このままがいい」といういつもの私と、
「変わりたい」と囁く新しい私。
私の中で、さざ波がぶつかり合っているような
落ち着かない気持ちになっていた。
店を出る頃には、雨は小降りになっていた。
傘を閉じて空を見上げると
どんより曇った空のはるか遠くに
僅かに輝く光を見た。
短編小説:藍色の雨