今回の参詣は、文京区後楽の諏訪神社へ。
ここは「飯田橋駅」から目白通りを北に700メートルほどのところ。神楽坂・飯田橋・後楽園に囲まれたエリアなのですが、わりと静かで高層ビルが全くない住宅街と言った感じ。
鳥居
昭和五十五年九月に奉納された金属の鳥居は、神田明神の大鳥居のミニチュアみたく見えます。
手彫りの御由緒がめずらしい。奉納者は礫川地区後楽町会の会長で代替わりの際に奉納があったようです。
礫川は「れきせん」と読んで、後楽から白山までの地域名。この字で「こいしかわ」とも読むようです。葛飾北斎の冨嶽三十六景にある『礫川雪の旦(こいしかわゆきのあした)』は当社北側に鎮座する牛天神北野神社から富士を見渡した景色なんだとか。
御由緒 境内掲示より
奉納 組橋孝幸
諏訪神社由来
室町時代一三九〇年(明徳元年)七月に
牛天神別当「龍門寺」の住職であった乗観法印が
信州諏訪大社より勧請創建したと伝う。
由緒によるとある夜諏訪明神が霊夢に
現れ"汝の在国に清浄の地ありや"
法印曰く
"寺の西南に当たりて杉松のうっそうとした
浄地あり"と明神曰く"我其の地の森に移りて
民を守り汝が思ひを満足せん"と言ひて
光焉として飛び去り給う。(思ひ満足せる
森とて今に思ひの森と言い伝えへり)
その日此の地は大風が吹き荒れ雷鳴がとどろき
わたった。風が収まりし後に一本の大木に白幣
がたなびいていたという。信州より帰った乗観が
神託の趣きを衆に語り不思議な符号を
認め此の地に民と力を合わせ宮居を建てた。
この神託により当社を思いの森と言ひ伝う。
御祭神 健御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかのとめのみこと)
御神徳 産業興隆、商売繁盛、交通安全、縁結
例祭 九月十七日(隔年神輿巡行)
牛天神北野神社
諏訪神社
出世稲荷神社
宮司春日規子
境内末社
思の森稲荷神社
御祭神・宇迦之御魂の命(うかのみたまのみこと)
御神徳・商売繫盛、家内安全
鎮座地・文京区後楽二-一八-一八
平成二十六年九月吉日
手水舎
後背に「昭和三十三年九月吉日」とあります。お水は蛇口をひねって出すタイプ。
広く「小石川諏訪神社」と称されています。
祭神は健御名方命と后神の八坂刀売命なので、縁結びの御利益もあるそうです。
狛犬
左が吽形で子抱き、右が吽形で毬を抱えています。
台座部には奉納年などの記載が見られませんでした。
例大祭の神輿巡行は隔年で催行され、開催年は西暦の奇数年です。
舞殿
一階が社務所、二階が舞殿になっているようですが、常時不在のようで御朱印は北野神社で受け付けていると張り紙があります。
力石
ハート形のおみくじ掛けの足元に置かれています。
右の大きい方はまっさらで、もう一つは「五斗の余(75kg以上)」と刻まれているようですが九斗(135kg)にも見えます。ちなみに一般的な力石の重さは三十から三十五貫目(約112~131kg)です。
思森稲荷神社
当社の御由緒に「思いを満足させる森」とあって、小石川区史にも「思ひの森」として記載があるのですが、その小石川区史が引用した江戸名所図会には「忍の森」として紹介されています。「思い(想い)」も「忍ぶ(偲ぶ)」も似たようなものではあるけど、違うと言えば違うかな。
江戸名所図会 巻之四天権之部より
諏訪明神社
同所浄水掘より南の方、諏訪町にあり。祭神は建御名方命なり。相伝ふ、明徳元年庚午、牛天神の別当梅本坊乗観法印、霊告あるにより勧請なし奉ると云々。土人云く、この地旧名を忍ぶの森といふといへり。梅本坊はいまの竜門寺これなり。祭礼は毎歳正月と七月の二十七日なり。
狐像
左が宝珠を咥え、右が鍵を咥えています。
社殿内にも狐が何体か置かれ、左右金と銀で一対なのは十二社熊野神社、井草八幡宮、蓮昌寺三光堂に見られます。
写真はすべて2025.10.05 撮影
備考
社号 諏訪神社
祭神 健御名方命
創建 明徳元年(1390)
祭日 9月17日例大祭(隔年神輿巡行)
末社 思森稲荷神社
社務所 御朱印は北野神社にて授与有り
所在地 東京都文京区後楽2-18-18
その他 牛天神北野神社が兼務












