今回の参詣は、千代田区平河町の平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)へ。

当社は太田道灌によって江戸城梅林坂に祀られた天神社で、江戸時代後期には、江戸の名だたる天神社を二十五社纏めた”江戸二十五天神”の一つとして選出された。

このほか、都内の天神社としては、牛天神北野神社(創建1184年)西向天神社(創建1282年)湯島天満宮(創建1355年)についで古い天神社である。

(古さで言えば、上野の五條天神社は創建西暦110年と伝わるものの、菅原道真を祀ったのは江戸後期になってから。必ずしも天神=菅原道真ではないと思われる。)

 

 

 

大鳥居

天保十五年(1844)に建立された高さ5メートルの鳥居で、鋳物師・西村和泉守政時の作。右側が平河天満宮の支柱の獅子、左が湯島天満宮の大鳥居のもの。似てるかな?と思って並べてみた程度で、特に意味はない。

 

 

 

平河天神

当社は文明十年(1478)に太田道灌によって創始され、道灌が城主だった時代の江戸城内に祀られていた天満宮。場所は現在の皇居東御苑内天神濠と平河濠の間にあった。

徳川氏入国後は、江戸城平川門の外に移され、それが由来となって平川天神と称した。

慶長十二年(1607)に現在地に遷され、この辺り一帯を貝塚(皇居内・九段北・九段南に貝塚があった)と呼んでいたため、貝塚の天神とも称されていた。紀州・尾張徳川家・井伊家の祈祷所として崇敬を受け、新年には将軍に拝謁できる待遇を受けていた天満宮だった。

 

 

 

撫で牛

境内参道に五体安置されている。

五体も奉納されているのは、私が今まで巡ってきた中でも稀。

 

 

 

狛犬

右が阿形で左が吽形。持ち物は無し。

 

 

 

 

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

平河天満宮(平河天神)由緒畧記

御祭神

 菅原朝臣道眞公(学問の神)相殿誉田別命(八幡宮)徳川家康公(東照宮)

摂末社

 平河稲荷神社(商売の神)

三殿宮

 大鳥神社(おとりさん)塩神社(生活の神)浅間神社(せんげんさん)

祭事例大祭四月二十五日

 梅花祭(三月)夏祭(八月)他、恒例祭

御由緒

江戸平河城主太田道灌公が城内の北梅林坂上に文明十年(一四七八)

江戸の守護神として創祀された(梅花無尽蔵に依る)

慶長十二年(一六〇七年)二代将軍秀忠に依り、貝塚(現在地)に

奉遷されて地名を平河天満宮にちなみ平河町と名付けられた。

徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家井伊家等の祈願所となり、新年

の賀礼に宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていた。

また学問に心を寄せる人々古来深く信仰し、名高い盲学者塙保己一

蘭学者高野長英の逸話は今日にも伝えられている。

現在も学問特に医学芸能商売繁昌等の信仰厚く合格の祈願等も多い。

 

 

平河稲荷神社

境内左側、朱鳥居のトンネルを抜けた先にある。

 

 

 

狐像

右側は巻物を咥えているだろうか、左は宝珠を咥える。

 

 

 

平河稲荷神社は、元和年中(1615-1624)の天満宮の本社殿造営後に鎮座したと伝わる。同じく境内末社の浅間社、塩神社、大鳥神社と並んで祀られていた。

大正12年(1923)の関東大震災で焼失し、その後は天満宮の本殿内に祀られていたが、平成13年に再び境内社として鎮座。(「千代田の稲荷」より。)

 

 

 

三殿宮

大鳥居の傍、境内右側にあり。

大鳥神社 祭神・日本武尊命(やまとたけるのみこと)、

塩神社 祭神・豊斟渟神(とよくむぬのかみ)、

浅間神社 祭神・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、

の三社を合祀。

 

 

 

写真はすべて、2015.1.24 撮影

 

備考

社号 平河天満宮 ひらかわてんまんぐう

別名 平河天神社 貝塚の天神

祭神 菅原朝臣道眞公 相殿誉田別命 徳川家康公

創建 文明十年(1478)

祭日 1月25日初天神・鷽替え 3月梅花祭 

    4月25日例大祭 8月夏祭 10月平河稲荷例大祭

末社 平河稲荷神社・三殿宮

社務所 御朱印御守り神札授与御祈祷受付有

所在地 東京都千代田区平河町1-7-5

その他