職場では、朝っぱらからアリが出た!と大騒ぎしていた。
しかも、卵を一緒に運んでいるという。
周囲の狼狽を他所に私だけが、片手にアリ退治スプレーを持ちつつも、ワクワクを隠せずに現場へ向かった。
子供たちはじっくりと観察する子、キモい!キモい!と騒ぐ子に分かれている。
私も仲間に入れて!と観察する子達の間を分け入って、まじまじと観る。
彼ら(アリたち)は、既に卵を運び終えたようで、ストーブの近くの壁の隅にある卵の塊の周囲には何匹かの働きアリたちが、それらを警備するようにウロウロとしていた。
今朝はひどく冷え込んで、霜が降りた。
外に巣を作っていた彼らは、焦ってここに卵たちをとりあえず避難させたのだろうか。
先生たちが箒とちりとりを持って、さっさと卵とアリを排除する。
私はその後に壁の角にアリ侵入防止スプレーを噴射した。
一緒懸命運んだのに申し訳ないけど、食べ物に入ったり、みんなのお昼寝の邪魔になるから、仕方ないけど、外に放るね。
そう言うと子供たちは、ある子は残念そうに、ある子は、ホッとしたように、その場をあとにする。
アリに直接迷惑をかけられたことがないのであろう子供たちの反応にこれだけの差があるのは、やはり近くにいる大人たちの価値観の影響なのだろう。
しかし、アリをキモいと思うことも、面白いと思うことも、子供たちの自由だ。
私も外にいるアリは好きだが、家の中に突然卵を運ぶアリには、ギョッとする。
壁に穴が開いているのか、食べ物を探られてしまったか。
そういう浮世の損得勘定から発する懸念は、現実的な世界を生きてきた肉体にとって、直接的な危機感に直結するごく自然な反応である。
しかしその反応が落ち着いたあとに思うのは、彼らも同じように生きたいと願う生命であるし、それ以上に自分を犠牲にしてまずは卵を避難させる様子には、いじらしさを感じずを得ない。
彼らは、個である前に種である。
女王アリですら、その役割を担えなくなれば、その集団から真っ先に排除されるのであろう。
その自然と適応するしかない厳しさとその種を存続させるためだけに存在しているような忠誠心が、ただただ美しい。
アリは、肥沃な大地を作り、動物たちの貴重なタンパク源にもなっていた。
地を支え、空へと循環させる。
虫はキモいどころか、命の架け橋だ。
人間の文明が立ち居かなくなっても、彼らは貪欲にこの大地に生き続けることだろうな。
実に、素晴らしい。
生命にとって、希望でしかない。
