仕事をしていると、
つい自分より成果を上げている人をみては
「やっぱり私はダメだな…」と落ち込んだり。
婚活をしていると
同い年で既に結婚している友人をみては
「この歳になってなんで私は…」と悲しくなったり。
私たちはしばしば
他人と何かを比べて自分を減点する。
そして
「もっと頑張れば」
「もっと魅力的になれば」
「もっと認められれば」
いつか100点満点、完璧な私になったら
愛される気がしてしまっている。
だから無意識で
他人のできている部分と
自分のできていない何かを
比較して、採点して、減点して
モヤモヤを自ら生み出してしまう。
本来、存在こそ価値なのに
わざわざ減点して
存在価値のない私へと
自分自身で変換を起こしてしまいがち。
でも最近わかったことがある。
私は頑張ったご褒美で
愛されたかったわけじゃない。
100点を頑張って必死に目指さずとも、
欠けている、未熟で弱い私のまんま、
愛されてしまうことは、可能だったのだから。
私は仕事と恋愛で、人生を相当こじらせてきた。
成果を上げられない自分をみては、落ち込み。
プロポーズされない自分をみては、落ち込み。
そんな私には価値がないし、
価値がないから、成果も出なければ、結婚もできないんだ。
そんな永遠に報われない
負のループに陥ったことがある。
でも実際は、
自分より優れている誰かと
比較しては自分を減点し、
自分には価値がない認定を
勝手に、自分で、してしまっていた。
きっと愛されることが当然という前提で生きていたら、こんな拗らせ劇場は巻き起こさない。
ただ私には幼少期からの人生経験の中で
「愛されて当然」という前提が立ち上がらず
「嫌われるかもしれない」恐怖の中で生きてきたので。
どうしても減点思考が鳴り止まなかった。
きっと似たような境遇の人もいるんじゃないかな。
愛されて当然でいたいのに。
そう在れたら楽なのに。
「本当に愛されているのかな?」って
疑心暗鬼になって、
愛されている証拠を集めたくなったり。
拗らせている女性ほど、
無意識で
自分には価値がない。
存在しているだけで迷惑。
私は嫌われる存在。
本当の私は愛されない。
愛されたとしても見捨てられる。
そんな言葉になっていない誤認を抱えている。
愛される価値がない。
愛される才能がない。
愛される魅力がない。
そんな誤認を背負って、
人生を悪い方向へ展開してしまいがちだ。
私もずっと、自分の価値を証明しようとしていた。
仕事でも。
恋愛でも。
結婚でも。
お金でも。
何かを手に入れたら。
何かを達成したら。
誰かに選ばれたら。
ようやく自分に価値があると、
自分のことを認められる気がしていた。
誰かに認められるために、頑張り。
誰かに愛されるために、頑張り。
誰かに選ばれるために、頑張る。
でも、その前提自体が誤認だった。
誰かに認められ、愛され、選ばれない限り
自分には存在価値がないという感覚を
生み出し続けてしまっていた。
だけど先日、ノートを書いていて
ようやく、気がついた。
私は誰かに私の価値を
証明したかったんじゃない。
ただ愛されたかった。
ただ安心したかった。
ただ
「もういいよ」って言って欲しかった。
「そんなに頑張らなくても大丈夫だよ」って。
何かができるからじゃない。
誰かに選ばれるからじゃない。
何者かになるからじゃない。
"私(あなた)" だから。
「あなたのまんまが、素敵なんだよ」
「あなただから、こんなにも愛してしまうんだよ」って
今の私をジャッジゼロで
まるごと受け止め、抱きしめてほしかったんだ。
そしてさらに気づいた。
私が求めていたその言葉は
本当は誰かからもらうものじゃなかった。
自分で自分に声をかけて
その声が自分の中に通った時、
「もうこのまんまの私で
愛されていいのかも」
「私はもうすでに
愛される存在だったのかもしれない」
「もう愛されていいよ」って
自然と自分の中に、愛が流れた。
私はずっと、愛される証拠を探してきた。
でも本当は、
愛されるかどうかを
確認しなくてもよかったのかもしれない。
弱い私のまんまで
未熟な私のまんまで
不完全な私のまんまで
臆病な私のまんまで
「もういいよ」って許せたら
ずっと探してきた安堵感が
ぶわぁっと、やさしく流れ込んできた。
愛されている証拠を探さなくても。
好きな人からの返信を待ち構えなくても。
誰かに価値を認めてもらわなくても。
完璧にならなくても。
私はここにいてよかった。
私は愛されてよかったんだ。
そんな感覚が湧き出した。
だから今私は
頑張って愛される私を目指すよりも
未熟な私のまんま、成熟していく人生を
心のままに、気ままに楽しんでいる。
キラキラした憧れの何者かになるよりも
こんなにも価値があるのだと証明するよりも。
いつでも「もういいよ」って
愛を受け取れる私でいれることが
私の幸せだと気づいたから。
完璧になったら愛される。
もっと魅力的になったら愛される。
そんな長年の誤認を溶かして。
だめだめだと否定してしまう自分にすら
「もういいよ」って、
優しく許せる女性が増えますように。
自分の中に愛が流れる感覚を、
思い出せる女性が増えますように。
そして、
頑張って愛される私を目指すよりも、
未熟な私のまんま、成熟していく人生を
楽しめる女性が増えますように。
何かになったからじゃない。
完璧だからじゃない。
誰かに選ばれたからじゃない。
"私(あなた)"だから。
私(あなた)のまんまで
愛されていい。
そんな優しい世界を、
一緒に生きていけますように。
もう愛されてもいいのかもしれない。
💎 こじらせ女子救済レポート
💍 38歳独身・こじらせ女子の観察日記
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