38歳を迎えてから、
年齢という数字にのまれることが多くて…。
現実を突きつけられる感じが
何度もあったのだけど・・・
今日はその謎がようやくとけた!!!
年齢という「数字」に縛られてしまう女性の
何かヒントになったらいいなと思い
心の内を赤裸々シェアしようと思う。
ほんの1時間前までは
6個年下のお友達に会った後で
「38歳になってまで、私何やってんだろ…🥲」と今の私をものすごく恥じていた
のだけれど…!
今は「38歳ですけど、何か?🥰(問題でもありますか?)」
この状態で。
年齢で自分を恥じることがなくなり
代わりに
38年間の自分の軌跡を
無条件に誇れるようになった。
今日の気づきが、年齢に悩むアラフォーの
モヤモヤが晴れるきっかけであれたら嬉しいな。
38歳になってから、急にヘルニアになったり
思いもよらぬ出来事が次々に起きて
自分でも「自分がわからない」感覚に
久々におちいった。
32歳の時に、
自分の心に従って生きるって決めて
自分の幸せを選び続けてきたのに…
急に自分のことがわからなくなってしまった。
なにが好きなのか?
どうしたいのか?
何を選びたいのか?
自分のことが一気に見えなくなって。
代わりに「もう38歳なのに…」と
否定的な目線で
自分のことを観察するようになってしまった。
それまでは
「私はこうしたい」
「私はこれがいい」
「私はこれが嫌♡」と
自分の感覚に素直に従えていたのに。
突然「どうしたらいいか、わからない」
不安定すぎる状態になって、うろたえた。
この時は気づいていなかったけれど
無意識で私は、
「もう38歳だから…ちゃんとしないと」
「一般的にはこうだよね」
「普通なら・・・」
って、
一般的な幸せ、普通の幸せに
自分を当てはめようとして
自分の幸せを選べなくなってしまっていたのだ。
普通じゃない、ちょっと変な自分を
コツコツ愛して、許してここまできたのに
38歳になった途端に
「普通」や「一般的」な概念に
自分をはめ込もうとしてしまっていた。
そりゃどうしていいか分からない
お手上げ状態になってしまう。
自分の感覚にYESというよりも
「一般的な指標」で自分の現状を採点して
今までずっと指標にしていた
自分の感覚に蓋をしてしまっていたのだから。
自分の感覚や気持ちに蓋をして
抑圧している中で
自分の正解なんて選べない。
かといって今更
一般的な正解を自分の正解に出来るほど
私はもう自分のことを騙せないから…
「わからない」という言葉しか、
出てこなかった。
今思えば、私は「38歳」に
なったことが苦しかったんじゃなかった。
「38歳」の私を
一般的な物差しで採点(減点)していた。
✔️適齢期に、結婚しているか
✔️人に誇れる仕事をしているか
✔️一般的な38歳として妥当か
✔️世間的にみて正解か
そんな視点で自分を裁いていた。
この減点の感覚が苦しかった。
無意識に
「このままじゃダメでしょ」
「もっとちゃんとしないと」
って、
「今のままじゃ価値がないよ」
「だからもっと頑張らないと!」
って、
存在価値を減点した上で
社会的に価値がある女であれと
無理やり奮い立たせたことも
苦しかった。
(・・・ほぼモラハラ)
でもね ——
私は減点しなくても、
加点しなくても。
私は私として
もう存在していた。
素直になれず、こじらせながらも。
強がって、遠回りしながらも。
心ひらけず、迷いながらも。
38年間、右往左往
なんとか自分を生きてきた。
私は確かにそこにいた。
なのに ——
アラフォーになった途端、
「理想ではなかったから」
「こんなの私の理想じゃない」
「こんなはずじゃなかったのに」
と、私が私を萎縮させ
存在価値を削っていたのかもしれない。
「どうしていいか、
正解が分からない」んじゃなくて
「どうしたいか、
私の気持ちが分からない」が起きていた。
本当は「こうしたい」があったけど。
一般的に38歳だったらこうだよね?
38歳だったらこの正解を選ぶよね?
そんな頭の声に負け、
私は正論で自分の気持ちを、踏み潰した。
自分の中にあった「こうしたい」思いは
一般論の尊重により
価値のないもの認定が起きていた。
38歳にもなって、こじらせている私は悪。
恥じて、隠して、真っ当に生きなきゃと
どこかで思ってしまっていたあまりに
自分の気持ちを、
自分の正解にできなくなっていた。
だけど今日気づいた。
私が苦しかったのは
「38歳だから」じゃなかった。
「一般的な38歳だったら、きっとこれ」とか
「38歳なら普通、こっちを選ぶ」と
「本来の自分を軽視」したことが苦しかった。
存在価値を削り
気持ちを蔑ろにし
自分の幸せじゃないものを選ぼうとした。
本来の私から
少し離れてしまっていたことが
苦しさの根本原因。
確かにこの38年間、
こじらせることもあったし
「一般的な幸せ」ではなかった
かもしれない。
だけど、
たしかに「私の幸せ」は
いっぱいあった。
強がって、頑張って、
必死に生きてきた私だからこそ
見えた絶景もあった。
年齢を重ねたことで
急に自分のことを恥じてしまったけど。
本当は、
今までを無価値にする必要はなかった。
私だからこそ経験できた景色が
38年の中にたくさん詰まっていた。
情報過多の社会でどうしても私たちは
「一般的な物差し」で自分を採点してしまう。
でも ——
普通の幸せを目指した途端
自分の気持ちは見えなくなるし
一般論に自分を当てはめようとしたら
今の自分が何に幸せを感じているかすら、
味わえなくなる。
なぜなら ——
一般的にとか、普通はとか
他者視点で自分を見たら…
誰かと違う自分のことを、
不正解のように感じてしまうから。
本来私たちは、いつだって。
自分の幸せを自分次第で
自分に掴ませてあげたい、だけなのに。
普通の幸せに自分を当てはめるより
「これが私の幸せ」と感じるものを
尊重したい、だけなのに。
私も一瞬、
普通の幸せは…とか
一般的な流れは…とか
38歳だったら…という
世間的な何かに馴染もうとしてしまったけど。
私はこっちが好き。
私はこっちが幸せ。
この感覚を不正解にすることなんて、できなかった。
普通じゃないけど、私らしい。
普通の幸せにならなくていい。
私が幸せなら、それが正解。
私は私の幸せをこれからも選ぶ。
この許可と受容が
今日の私にはとても心地よかった。
私もまた迷うことがあるかもしれない。
普通はこうだよね。
一般的にはこうだよね。
そんな声に飲まれる日もあるかもしれない。
だけど、その度に思い出したい。
普通の幸せにならなくていい。
私が幸せなら、それが正解。
迷ったり、遠回りしたり
遠慮したり、こじらせても
私は私の幸せを選びつづける。
40歳になっても、
50歳になっても、
60歳になっても。
私の心の葛藤は
私の人生の輝きだから。
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