設楽(したら)ゆきです✨
神社奉納と大きな気づき
全ては「愛」からするというお話。
仲良しのサッキーこと
2019年の山形出羽三山での奉納から
リン奏者として参加しています。
『奉納』って何かというと、
神社などで見たことないですか?
立派な絵が飾られていて、その横に
『奉納 佐藤〇〇太』って。
神仏に喜んで頂くために納める品や芸事。
サッキーの作品「オトネリ屋」の
その活動に演者として、
プロデューサーのアガと一緒に
参加しています。
出羽三山、
この日の打ち合わせ。
↓
メンバーの3人でイメージワーク、
それは誘導瞑想のようなことを行った。
意識を解放し、ただ感じる。
雑念が出たら、ただ感じるところに戻る。
頭を空っぽにし、ぼーっとしていたら
「わかった」ことがあった。
ここ数年ずっと疑問に思っていたこと。
今日のブログでは、疑問に思っていたもの
自体は重要ではないので脇に置いて、
結論だけ。
世間で言われていることで、
どっちが本当なのかな?という
疑問を持った時、
それは正しいのかな?
どっちが間違いなのかな?と
真実を知りたくなるよね。
そのことへの気づきがやってきた。
受け取ったことはこうでした。
↓
ーーーーーー
どちらが本当か、何が本当か、
その答えは永遠にわからない。
わかる必要がない。
私達人類が体験しようとしていることは、
どちらであっても、
「愛」で選び対処していくことが
大切なのであって、
正解を知ることがゴールではない。
人類が実践していくことは、
目の前の状況に対して、
「愛」(思いやり、尊重、理解など)
を持って対処していくこと。
「怖れ」(恐怖、罪悪感、攻撃など)
で選ばず、もし怖れでしてしまっても
それを「許し」ていくこと。
「愛で対処する」とは、
全ての不理解に理解を示すこと。
互いの違いを尊重すること。
また何か行動する時、
これは私を幸せにすることか、
他人も幸せにすることか、
よく心に問い、起点となる思いを
純粋にしていく。
例え良かれと思った、愛で行った、
それでも誰かに迷惑を掛けてしまうことがある。
そんな時は、その自分を許すこと。
逆の立場の時も、相手を許して、
今できる最善のことをする。
つまり、何かをする時の
「意識」が重要。
「愛」か「怖れ」か。
そして今起きている問題の全ては
人類が「愛」を起点に動くことの
レッスンである。
間違いは責めるのではなく許し、
愛で解決していくこと。
もし責めてしまっても、それごと許すこと。
何をするかでなく、
どの意識からそれをするのかが
大切なのである。
ーーーーーー
地球を大切にしたい!から
環境問題に取り組むは「愛」
このままではまずいから、
今までやってきたことは罪であって
それではダメだからやる!
は「怖れ」(罪悪感や批判 )
たとえ怖れから、こうしよう!
と思ったとしても、気づいた時点で、
「愛」(思いやり、尊重、理解など)
の視点からどうして行こうか?
と変化させればいい。
怖れで何かしてしまっても、
その自分を責めない。
そうしている他人も責めない。
じゃあ今何を選択しようか、
愛でどうしようか、
どんな世界にいたいかで選んでいく。
私は世界は愛でできていると思いたい。
そう思って世界を見るレッスンをしている。
でもそれは「愛だけ」の世界という意味ではない。
そうじゃないものを見た時に、
怖れているんだと理解をして許していく。
許すというと、なんでも受け入れると
勘違いしてしまうけど、そうじゃない。
失礼なことをされても怒らないとか、
右の頬を打たれたら、
左の頬を差し出すのではない。
↑
キリストレベルならできるだろうw
むかついたら打ち返してもいいし、
その手を止めて、やめて!と言っていい。
私への愛、相手への愛ならどうするか。
話が膨らみすぎて収集がつかないw
大切なことは、
「愛」を起点に動くこと。
何が正しいかは、本当にどうでも良いこと。
正解は何か、わかりようがない。
もしわかるとしても論点ではない。
不理解に理解を示すこと。
違いを尊重すること。
間違いは責めるのではなく許し、
愛で解決していくこと。
もし責めてしまっても、それごと許すこと。
何をするかでなく、
どの意識からそれをするのかが
大切なのである。
来週の奉納では、
これを祈りとして納めてきます。
桃への愛は溢れんばかりです🍑
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