①喜びが一瞬で終わって後ガッカリするなら
最初から「たった一瞬」なら喜ばないか?
or「たった一瞬」でも、小さくても短くても
喜びをキャッチして積み重ねていきたいか?
.
あなたはどっち??
.
②喜んだけどガッカリする可能性に対して
「最初から喜ばない・ぬか喜び禁止令」以外に
どんな「ぬかだったとしても喜んでも大丈夫」
と感じられる方法が
大人のあなたは見つけられますか
?
そんな言葉があるくらい
私たちは喜ぶことを
怖がっていたりするんですね。
そんなの真に受けて喜んで
バカみたい
どうせ勘違いなのに
間違ってたら恥ずかしい
喜んだ後に、何か良くないことが起こるはず
後でガッカリするくらいなら
最初から喜ばない方がマシ
いろんな言葉や考えを駆使して、
自分がうっかり喜ばないように
喜びを禁止する
ぬか喜び禁止令
これ、当たり前のように
発動させていませんか?
ぬか喜びについてなんて、
こうして尋ねられないと
考えてもみないのではないでしょうか?
私も、お題あってこそ見つめてみると、
なるほどな〜
そう思ってんだな〜
あ〜、私ってそれで喜ばないように
してるんだ・・・
なんてことが
言語化されて自分の顕在意識に
上ってまいりました。
ぬか喜びは危険だ!
相手に期待した分だけ
叶わなかった時のガッカリを
抱えきれなくて、
相手に期待した自分をバカにしたり、
相手を責めたくなったり
見たくない自分が出てきてしまう・・・
好転に兆しに手放しで喜んでしまったら、
悪くなった時のアップダウンに耐えきれない
油断してしまったからだ!と
自分を責めてしまう・・・
だから良いことが確実になってから
喜ぼうと自分を鎮めてると・・・
じゃあ、いったいいつ喜ぶんだーーー!!
自分が気に入ったものとか
好きなものに対して
自信がなくて
こんなもので喜んでいるのは
私だけかも
恥ずかしいかも
と、嬉しい気持ちを抑えてしまう
子どもの頃、これ楽しい〜♪
これワクワクする〜
と表現しても、
親には全く伝わらず、
スンっとされて・・・
こんなことなら喜ぶことも
ワクワクすることも
伝えない、表現しない方がマシだと思った
などなど、
何かしら、過去の悲しい体験と
喜びがくっついていて、
喜ぶことは危険だぞ
そんなに喜んでいると
後でめちゃくちゃガッカリするぞ
なんて思い込んで、
ぬか喜び禁止!と
厳しいルールを自分に
付け加えてしまったんですね。
でも、この喜びって、
生きていく中でとっても大切な感情で
自分のエネルギーになるところ
なのに、
それよりも悲しいを感じないように
恐怖を感じないように
過去のあの時みたいに
ならないように
とし続けていると、
どんどん自分がわからなくなって
しまいます。
せっかく自分で生まれてきたのに、
喜びも封印して
自分のことがわからない状態で生きる
ということは、
自分で自分を無視して生きること。
せっかく喜びの体験を積むために
生まれてきたのに、
いつまでそれを続けていきたいでしょう?
とはいえ、ですね。
私のアウトプットにいただいた
コメントを読んでみると、
すでに喜んでいる私が
曝け出されていたようで、
喜んだけどガッカリする可能性に対して
「最初から喜ばない・ぬか喜び禁止令」以外に
どんな「ぬかだったとしても喜んでも大丈夫」
と感じられる方法が
大人のあなたは見つけられますか
?
誰かとやったら
見つかるかもしれんで?









