大好きだった伯父の三回忌の法要があり、名古屋へ。
久方ぶりに県またぎの遠征でした。
新幹線は空いていましたが、
名古屋の街の人出は、
コロナ前と変わらず・・・という感じです。
嬉しいことに、ひつまぶしを食べる機会が!

名古屋のウナギは、蒸してから焼く関東風と違い、
生をそのまま直火焼きします。
カリカリとした口当たりが香ばしくて良いのですよ^^
頂いたのは「しら河」さんのひつまぶしでしたが、
ご飯の固さ、タレの濃さが
私の好み、ジャストミートでした。
おいし~~~~い![]()
その夜。
寝ながらフト、
お腹に収まったひつまぶしのことを考えました。
夕方に食べたひつまぶしは、
その時はひつまぶしでした。
けれど今、美味しく私の胃袋に収まったひつまぶしは、
胃液などで絶賛、消化中。
小さな小さな分子となり、
私の血肉になっていきます。
そうすると「私」の一部は、
「ひつまぶし」ということになります。
ひつまぶしだけでなく、
今まで食べてきたもので、
私の体はできています。
そう考えると、私はひつまぶしで、
トマトでキュウリでお米でもあるのです。
さらに考えれば、それらのものはすべて
地球でできたものです。
つまり「体」というのは、
地球の一部を取り入れて、
二酸化炭素や水分や便やらを排出しています。
地球の一部が、「自分」を通して
循環しているわけです。
もっと大きく考えれば、
宇宙の一部を自分を通して
循環させているわけです。
そう思うと、「自分」というのが、
「どこからどこまでか」を考えると、
果てしなく無限になります。
私はひつまぶしで、トマトでキュウリでお米で、
酸素で水で、自分の口から吐き出した水分は、
誰かの頭を濡らす雨にもなっているのです。
そうなると、「自分」というのは
地球全体にも広がっているかもしれない。
誰かの血液となって、
その命を支えているかもしれない。
となると、「自分」も「他人」も「もの」も、
実は境目などないのかもしれない・・・
ひつまぶしを食べて、こんなことを思うのは
自分くらいかもしれないと思いながら、
ひつまぶしである私は眠りに落ちたのでした(笑)
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