たぶんね、これ捨てると見つかると思う。
という体験談を書いておこう。
今日も良い天気だね。足元エッセイストたわです![]()
「何事も、答えは足元に埋まっている」という持論。
さて。
パートナー欲しいですか?
白馬に乗った王子さまに出会いたいですか?
「私なんて、どうせもう無理やで。人生オワコンやもん」と、燃え尽きていた去年の秋。
仕事も恋も、将来展望も、ついでに友達もなくして灰と化していた。
残ったのは、ローンと両親とひたすらな焦燥感。
はやく人生終われと思ったわ![]()
まぁでもね。
そこまで思うと、もはやどうでも良いのよね。大概の事がどうでもいいんだ。
んで、やったこともない外の仕事に出た。
体力ないくせに![]()
そしたらね。
そこって、特に密な人間関係があるわけでもなく、
きっちり仕事を仕上げなければならないわけでもなく、
きっかりした時間で動くでもない…
という、なんともゆるゆるな環境だったの。
そういう場にいるせいか、
そこで働く人たちは、私から見るととても大らか。
大抵の事には笑っていた。
「大丈夫ですよ」って、いつも言われてた。
先輩にくっついて走って、息が切れて、見上げた空はいつだって広かった。
包まれるように青空が広がっていた。
木の枝の手招き。
流れに身をまかせる雲。
のどかな鳥のさえずり。
ただただ、与えられる開放感。
ただただ、息を切らせて毎日を追いかけてた。
それが楽しかった。
心臓が踊る。
どれだけ自分を狭めていたか。
肌が教えてくれた。
朝が来る。
日の下に身を晒す。
吹きぬける風に気遣われた気がした。
汗でしめった体。
乱れる呼吸。
日が暮れて、影が伸びる。
心地よく疲れた体。
湯船でふやける感覚。
全てが楽しかった。
生きている感覚が楽しかった。
それだけでもう、十分だと思ったの。
生きている感覚を味わえただけで、もう生まれた甲斐があるや。
今日死んでも、なんにも悔いない。
そう感じた。とても満足したの。
これまでが帳消しになるくらい、本当に素敵な時間を過ごした。
そしてね、
「◯◯が欲しい」「もっと◯◯だったらな…」って、考える事も忘れてた。
あの時の私は、何も願っていなかった。
満ち足りて、なんの不足もなかった。
実際には、稼ぎは少ないし、現状何も変わっちゃいなかったんだけどもね。
「何も増えなくっても、生きてるじゃん」
そう実感した。
与えられるものを楽しんだ。
それだけだった。
大人とか子供とか、
男とか女とか、
社会人とか落ちこぼれとか、
何ができるとか、
何ができないとか、
私がジャッジしてきた自分を忘れた時期だった。
初めて本当に私を認めた時期だった。
そうしたら、目の前の人をいつの間にか好きになっていたんだよ。
自分にぴったりなパートナーと引き合う条件
それは…
自分が作り上げた
『私』という概念を捨てる![]()
ことなんではないか…、と思う。
感覚でいうと…
例えば、女性らしくという型を捨て。
社会人としてキチンとしなければという前提も、ぶち壊し。
人に優しく、というモラルもうっちゃり。
どう見られているか、と鏡を見ることもせず。
無人島感覚になる
動植物しかおらんがな
のが、いいんではないかと
←無理だろw
スッポンポン感覚になると良いよ
←まだ言うかw
ちょっとヌーディストの気持ちがわかるから。←目的を変えてきたw
ありのまま、あるがままを認められたい。受け入れて欲しい。
そういう原始的欲求はさ、こっちも原始的に行きゃぁいいんだと思うよ。
そもそも服着てなかったんだからさ。
そもそも潜在意識繋がってて、やろうと思えばいつでも中身丸わかりなんだからさ。
みんなトゥルーマン・ショーなんだね。
まぁ、これが正解でもないだろうけど。
私的には、一番腑に落ちた出来事だったよ。
引き寄せの法則ってやつで、『すでに叶った状態になる感覚』がわからない人は、
試してみてもいいんじゃないかな?
どんな願いでも、削ぎ落としていけば「満足」を味わいたいがためだからさ。
天気も良いし、ヌーディスト日和だね
←だから違うだろw
余談だが。
私はこの季節、お家でスッポンポンタイムを儲けているよ。←聞きたくない情報
だから呼び鈴には出ない
←
今日のエネルギー
ひらすらな開放感

