心屋さんに出会って、ブログやテレビや心屋式カウンセリングも講座も受けたのにね。
視える、ということを受け入れていこうと思うあまり「自分はどうしたいのか」を見失い、視ることへの鮮明さを求めすぎていたように思う。
心屋さんと出会って5年近く経つと思うんだけど、まだそんな片鱗が自分の中にあったと知って絶望した。
おいおいおいおい💦と激しくツッコんだ( ̄▽ ̄)
まぁでも、
そこに気づけただけでもたいしたもんだ、と思う自分もいた。
正直ね、
今でも聞こえたことに耳を疑うことはたくさんある。
自信なんて、ない。
ぺーぺーですから( ̄▽ ̄)
でも、それでも伝わる時には伝わると思うし、
結局のところどうしたいのかは自分が決めていいんだと思う。
とゆーか先日のこの記事の彼女を見ていてそう思った。
だって彼女、ホントは私に聞くつもりはなかったらしいもの。
そして私も、お父さんが側で謝っているのを見つつも心屋式で傷を癒やされている彼女を見て、必ずしも伝えなくてもいいと思ったし。
でも彼女は自分のことを書いてくれたのかを知りたくて確認してきてくれて。
あぁ、あの流れでよかったんだと思うと同時に
、あちらの方たちがいう事がすべてじゃないよ、と伝えていきたいと強く思った。
心屋を何年やっていようが、視えようが、迷うことだってある!
最近は知りたいと思っていた般若心経の本を購入できたので唱えてるけど
はじめは視えることへの鮮明さを求めてたとこもあったけど(すべてではないけど)
これからは「なんとなくやりたいからやる」にシフトしていこうかと思う。
おしまい

