前回記事の続きです。
離婚届の一件以降、私は改めて自分自身を省みることにしました。
まず、大体のケンカは私が旦那さんの何かにイライラすることから始まります。
つまり、私がイライラしなければケンカは起こらないので、イライラしないに越したことはありません。
では、私は旦那さんの何にイライラするのか?
突き詰めていくと、二つのパターンが見えてきました。
パターン1:旦那さんが家にいても家事をしない時。
そもそも私は自分の快適なように家を設えたいので、元気であれば私がほとんど家事をしてしまいます。
イライラするのは、疲れているのに私が家事をやらなければ家が回らない時です。
では、今まで私は疲れていることを伝えたり、家事を頼んだりしてきたでしょうか?
答えはNO。
どうせ助けてもらえないとか、
頼んでも返事ばかりでなかなかやらないとか
そんなことばかり考えて何も言わず、
ただひたすら次から次へと家事をしながら
合間にちょっと大げさに溜め息をついたりして
気づいてくれるのを待つだけ、
気づかないとイライラしてそのうちに噴火🌋
これは元々、自分の行動パターンの方に
問題があるのでは、と思い直しました。
そもそも旦那さんは自分の世界に入りがちで、
話しかけても気づかない時がある程なので
溜め息をついたぐらいでは察する筈もなく😅
そこで、疲れて動きたくない時は
無理せずに途中で昼寝したり、
先に一人でお風呂に入ったりすることにしました。
「もっと家事をやって」と頼むやり方もありますが
言い争いになったりすると面倒な上、
私が一番やりたいのは体を休ませることなので
まずはやりたいことを優先させることにしました。
すると、旦那さんが残りの家事を多少してくれるようになりました。
しかもあまりイライラしていない様子。
これは画期的なことでした😲
この経験を通して見えてきたのは、
私がイライラしていた相手は
実は家事をしない旦那さんではなく、
疲れているのに自分を優先しない自分自身だった、
ということ。
なので、私が私を優先させればいいだけなのです。
これは一見簡単なことのように思えますが、
家族がいると意外と難しいのが現実です。
特に母親はどうしても家族(特に子供)優先になりがちなので、
自分を優先させるにはかなり勇気が要ります。
でも、自分の子供時代を思い返してみると
私は両親のことを密かに見ていて、
親、特に母が幸せかどうかに敏感でした。
もちろん親に幸せでいて欲しいと思っていたので、
無理してまで自分たちの世話をしてもらいたいとは思っていませんでしたが
母は全く家のことをやらない父を尻目に
時々溜め息をつきながら家事をしていました。
(母と私は全く同じことをしています😅)
私は「○○して欲しいなんて、頼んでない!」と
そんな母に言い放つこともありました。
ひどい言い種ですが、その言葉の奥では
もっと母自身の幸せを追求して欲しいという思いがあったのだと、今になればよくわかります。
自分が親になった今、子供もまずは私に幸せでいて欲しいと思っているような気がします。
溜め息つきながら世話するなんて、
ある意味ありがた迷惑かもしれません😅
子供が親になった時に自分を大切にできるよう、
まずは私が私を大切にする姿を見せることが
子供への最高のメッセージかな、と思います✨
パターン2:
こちらが何度同じことを言っても
旦那さんの言動が変わらない時。
基本的に私の方が生活の色々な面で細かいので、
私からすると何故できない?と思うようなことを
旦那さんが次から次へとやらかしてくれることが多いです。
最近は「名もなき家事」という名称で市民権を獲得し始めている
脱いだ靴下を洗濯かごに入れるだとか、
畳んだ洗濯物を元の場所へ戻すだとか、
テーブルに放置されたゴミを捨てるだとか、
そういった、些細ではあるけれども
いつも私が後始末をしているうちに
何とはなしに不公平感を感じる類いのことです。
これもまた
私が注意→旦那さんが「わかった」と言う→また同じことをやっていて私が注意→旦那さん「わかった」→私「この間もわかったって言ったじゃない‼️」→ケンカ→また別の日に同じことが起こる…
の、負のスパイラルに陥っていました。
パターン1と同じく私が怒るところがとっかかりなので、
そもそも何故私がイライラするのか、
ひいては何がそこまで気に障るのかを深掘りしてみました。
すると私はどうやら、いくら私が言っても
旦那さんが変わらないことに無力感や寂しさを
感じていたようなのです。
自分にとって大事なことを相手に伝えているので
共感して欲しいし、共感した証として行動が変わっていって欲しい、というのが私の思い。
私のウェイブスペル、白い風の為せる業かもしれません。
それはそれとして、私の思いや言動は
旦那さんの側から見たらどうなのかな?と考えてみました。
自分では特に変わる必要性を感じていないことで
うるさく指摘されては価値観を押し付けられ、
(多分)覚えていない前のことまで引っ張り出して
「全然変わってない‼️」と怒りを募らせる妻。
ここまで想像した私の感想はずばり「迷惑千万」でした(苦笑)
自分の価値観を押し付けて
人にばかり変わることを要求する私こそ、
全然変わってないのではないか?
相手に変わることを要求するよりも、
まず自分が変わってみてから
もう一度相手を見てみたらどうだろう?
そう思い始め、まずは私が気に障るようなことは
本当に是正しなければいけないことなのかを
一つ一つ点検することにしました。
脱いだ靴下が洗濯かごに入ってないと不快なのは
日々の洗濯物の量をある程度一定にして
かごに入っている洗濯物を毎日洗いきりたいから。
でも、洗えない分は次の日にしちゃえばいいじゃん‼️と割り切ったら
もう脱いで放置された靴下が
そこまで気にならなくなりました。
畳んだ洗濯物を元の場所へ戻さないと不快なのは
床に洗濯物含め、何か置いてある状態が嫌だから。
でも、疲れて戻せなかった日は
誰も蹴らない場所に洗濯物を置いておいて、
もう翌日やることにすればいいじゃん‼️
テーブルに放置されたゴミが気になるのは、
必要なもの以外テーブルにあって欲しくないから。
だったら自分で捨てるか、旦那さんの机に置いて
自分で捨ててもらえばいいじゃん‼️
…と、一つ一つ私のこだわりを捨てていったら
ほとんどイライラしなくなりました。
不思議なことに、私がそうやって
思考パターンを刷新していくにつれて
旦那さんが靴下を洗濯かごに入れる確率が上がり、
旦那さんの分の畳んだ洗濯物は
時々持っていくようになっていきました。
テーブルのゴミも、私ではなく子供が注意するようになり
以前よりだいぶ頻度が下がりました。
他人に変わってもらうのは、本当に大変です。
本人が変わる気にならないと実現しません。
それよりも自分を変えちゃった方が解決が早い、
と腹の底から理解した出来事でした。
そして、「共感して欲しい」という思いは
事柄によってはただの押し付けになってしまうことにも気づきました。
(私のこだわりの多さにも我ながら驚きました。
これは一緒に暮らす人も大変😅)
人は人、自分は自分。
誰かが正しいとか間違っているとかではなく、
誰もが自分自身の価値観で生きていていい。
風の時代が始まった今、心からそう思います。
そして、自分自身を省みる中で
手を上げる男性と顔色を伺う私、
という構図についても考えてみました。
そもそも私が顔色を伺うのは、
叩かれるのではないかと恐れているから。
この恐れ、もしくは男性に対する不信感は
多かれ少なかれ旦那さんにも伝わっていて、
意識はせずとも信頼されていない悲しみを
旦那さんの心に引き起こし、
その悲しみが旦那さんを暴力的にさせるのではないか。
そう考えた時、私の不信感を薄々感じながらも
ずっと結婚生活を続けてきた旦那さんに
感謝の気持ちが湧いてきました。
そして「叩かれることはない」と
旦那さんをまずは信じてみよう、と思ったのです。
そもそも旦那さんの機嫌が悪いのは
仕事で思うようにいかない時がほぼ100%なので、
子供や私には非がない時がほとんど。
自分に非がないことで叩かれることはない‼️と
心の中で唱えながら開き直り、
旦那さんが多少機嫌が悪くても
ただ「機嫌悪いなぁ」と観察するだけで
気持ちの上で巻き込まれないようにしていたら
旦那さんがイライラをエスカレートさせることが
ほとんどなくなりました。
そう、私は父との関係で培ってしまった
男性への恐れや不信感を、
旦那さんとの関係を通して乗り越えていたのです😲
もはや過去の自分の姿となった
手を上げる男性と顔色を伺う私という構図、
さながら鍵と鍵穴の関係のように思えます。
私は鍵穴を自力で埋めたので、鍵がはまらなくなった。
そんな風にとらえています。
DVや虐待のニュースを見る度、
過去の私と同じような恐れを持っている人が
まだまだたくさんいるのだなぁと心が痛みます。
話がちょっと飛躍しますが、それはもしかすると
戦争という強大な外力が多くの市井の人々に
もたらしてしまったものなのかもしれません。
今、そこから脱却し次の次元に進む過程として
DVや虐待が明るみに出ている、そんな気がしています。
オーラソーマでも118番のエコーで
世界中の恐れのエコーが明るみに出たところに、
119番のセレス、エーテルレスキューが
救世主として誕生した、そんな流れを感じます。
鍵穴、或いは恐れや不信感は
ある意味でそれに依存して生きてきているので、
そこから脱却するためには生きるための軸を
新たに見出ださなくてはいけません。
生きるための軸を変えるのは大変なことです。
多くの恐れや不安を感じて尻込みすることもあると思います。
尻込みする時は頑張らなくていい。
大丈夫、大丈夫。そう自分に言ってあげる。
とにかく自分を信じる、これに尽きると思います。
さて、離婚しようとまでした旦那さんですが
今は仲良く暮らしています。
私の中の恐れや不信感を乗り越えるために
この人と出会って結婚したのだと、
今はそう思っています。
彼女が、私をそうさせた。
私の不信が、旦那さんを暴力的にさせた。
私の信頼が、旦那さんを穏やかにさせた。
アダムをして善人にさせるようなイブでありたい、
そう思う一介のイブの末裔の
長い長い独り言でした🍎
