田中信太郎――意味から遠く離れて | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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現在、世田谷美術館で開催されているのは、

“田中信太郎――意味から遠く離れて”という展覧会。

日本の前衛美術を語るうえで重要な作家の一人、

田中信太郎(1940~2019)の都内の美術館では初となる大規模回顧展です。

 

田中信太郎展 〇△□(萌 凛 律)

 

 

本展の冒頭を飾るのは、《〇△□ (“萌”“凛”“律”)》という作品。

 

田中信太郎 〇△□ 作品と砧公園
(注:展示室内は一部撮影可。写真撮影は、特別に許可を得ております。)

 

 

真横から見ると、細い金属製の棒にしか思えませんが。

別の角度から見ると・・・・・・

 

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タイトル通り、丸・三角・四角の形をしていました。

なお、形が丸・三角・四角であるだけでなく、

自立させるための錘(?)も、それぞれ丸・三角・四角となっています。

さらに、それぞれの金属の断面も、丸・三角・四角になっているそう。

シンプルながらも、細部にまでこだわり抜かれて作られた作品です。

 

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世田谷美術館の扇形展示室との親和性が高く、

さらに、窓の外に広がる新緑の砧公園の景色とも相まって、

まるでこの空間のために作られたインスタレーション作品のようでした。

この光景を観るだけでも、世田谷美術館を訪れる価値は十分にあります。

星

 

 

さて、《〇△□ (“萌”“凛”“律”)》のように、

シンプルでミニマルな作品を多く発表しているので、

田中信太郎はミニマリズムやもの派の作家と思われがちですが。

実はもともとは、1960年に東京で結成され、

約半年しか活動しなかった伝説的な前衛的芸術集団、

ネオ・ダダことネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの一員でした。

高校卒業後、画家を目指して日立市から上京した田中は、

ネオ・ダダに大きな衝撃を受け、美大に進学することなく、仲間入り。

美術評論家の東野芳明は、当時の論評で、田中のことを“ネオ・ダダの気弱な弟”と称しています。

もちろんその当時は、いかにもネオ・ダダ的な、廃物を利用したオブジェなどを制作していましたが。
ある時を境に、むしろその真逆を突き詰めた、シンプルな作風へとシフトチェンジしたようです。

 

ちなみに。
田中は、積極的に個展を開催するタイプではありませんでした。
個展を行うのは数年に1度。
『こち亀』でいえば(←?)、日暮熟睡男みたいな登場の仕方です。
また、 《〇△□ (“萌”“凛”“律”)》をはじめ、
田中の立体作品は、業者が基本的に制作しているそう。
 
田中信太郎「〇△□」作品
田中信太郎 《〇△□》作品展
 
 
もちろん図面を描くのは田中ですし、
表面の磨きなどの仕上げも彼が行っているそうですが。
業者に特注するだなんて、金銭的に余裕があればこそ。
一見するとシンプルな作風ですが、
いろんな意味で、誰にでも作れる作品ではなさそうです。
 
 
さて、東京国立近代美術館やアーティゾン美術館の所蔵品が一部ありますが、
本展の出展作品の大半を占めるのは、売られずにアトリエに遺された作品です。
それらの中には、未発表の1970年の絵画作品や、

 

田中信太郎 展覧会 作品 〇△□

 

 

わずか32歳で参加したヴェネチア・ビエンナーレの出品作もありました。

 

田中信太郎《銅の家》と《鉛の胎児》

 

 

個人的に印象に残っているのは、
意味深に並べられた2つの作品、 《銅の家》《鉛の胎児》です。

 

田中信太郎《銅の家》《鉛の胎児》
 
 
片や銅製、方や鉛製。
形も立方体、球体と違いますが、
どちらも同じ72キログラムとのこと。
なお、この重さは、当時の田中自身の体重なのだとか。
そう知った上で改めて観てみると、
ただの無機物ではなく、なんだか人格のようなものが感じられました。
 
 
ところで、シンプルな作風に行き着いた田中は、
長らく、その作風の作品を制作し続けていましたが、
40代になると、平面と立体を組み合わせた新たな作風に変化します。

 

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こちらは、本展のメインビジュアルにもなっている作品。

その名も、《風景は垂直にやってくる》です。

 

田中信太郎《銅の家》と作品

 

 

田中は40代の頃に耳下線癌を発症し、

故郷の日立市での療養生活を余儀なくされます。

そんなある日、雷が落ちる光景を目にし、

風景が垂直にやってくる、と感じたのだそうです。

またある日、何気なく世界地図を眺めていたところ、

ナイル川を目にし、「雷の形に似てる!」と気が付いたのだとか。

かくして、田中はナイル川をモチーフとした作品を制作するように。

《風景は垂直にやってくる》の画面右にもナイル川が描かれています。

 

その後しばらくは、造形的な作品を発表していましたが・・・・・

 

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田中信太郎《銅の家》72kgの作品

 

 

2000年前後を境に、再びシンプルな作風へと原点回帰。

(冒頭の《〇△□ (“萌”“凛”“律”)》も2001年の作品です)

 

田中信太郎《〇△□》展覧会、ミニマル作品

 

 

そして晩年には、さらに原点に回帰し、
立体ではなく平面作品を探求し続けたそうです。

 

 

田中信太郎の作品はどれも謎めいています。

どれも深い意味が込められているようで、哲学性を感じずにはいられません。

それぞれの作品には一体どんな意味があるのか?

思わず考察したくなるものがあります。

しかし、会場で紹介されていた田中の言葉の数々を見るに・・・・・

 
田中信太郎の言葉「視覚を眼で考える」

田中信太郎 展覧会 作品「丘の向こうから」

 

 

作品には、意味などないようです。

だからと言って、「意味がない=無意味」ではなく、

仏教でいうところの「空」の概念に近いものを感じました。

展覧会を観終わった後の率直な感想としては、

美術作品を観たというよりも、瞑想体験をしたような。

本展を通じて、田中信太郎の作品の数々と向き合い、

意味から遠く離れることで、余計なものがデトックスできた気がします。

 

 

 

 

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