ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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現在、サントリー美術館で開催されているのは、

“ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界”

幕末から明治にかけて活躍した絵師、河鍋暁斎の展覧会です。

 

河鍋暁斎の猫、ゴールドマンコレクション

(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)

 

 

生前は「画鬼」と称され、絶大な人気を博していたものの、

その没後は、長らく美術界から忘れられた存在となっていました。

しかし、特に2000年以降に再評価の機運が高まり、

近年では、伊藤若冲や歌川国芳に並ぶほどの人気絵師に。

例年、国内のどこかで河鍋暁斎の展覧会が開催されているような気がします。

実は、サントリー美術館でも、2019年に暁斎の展覧会が開催されています。

その際も、本展と同じく、ロンドン在住の画商、

イスラエル・ゴールドマン氏の暁斎コレクションを紹介するものでした。

・・・・と、それを聞いて、

 

“2019年の暁斎展を観てるから、今回は行かなくてもいいかなァ”

 

と思われた方もいらっしゃることでしょう。

いえいえ、ゴールドマンコレクションを侮ってはいけません!

個人コレクションながら、彼の暁斎コレクションは、世界トップクラスの質と量を誇ります。

その総数は、1000点以上!

しかも、今なおコレクションは増え続けています!

 

本展に出展されているのは、新収蔵品を含む選りすぐりの約110点。

実にその半数以上が、日本初出品となっています。

 

河鍋暁斎の世界展、掛け軸の展示
河鍋暁斎の掛け軸展示風景

 

 

そんな本展の冒頭を飾るのが、こちらの《象と子熊》

 

河鍋暁斎「象と子熊」展覧会

河鍋暁斎《象と子熊》 慶応元年(1865)頃~明治3年(1870) イスラエル・ゴールドマン・コレクション

 

 

ゴールドマン氏が暁斎コレクションを始めるきっかけとなった1枚です。

一度は他のコレクターにこの絵を売ったものの、

その真夜中に、「なんで売ってしまったんだ!」と後悔の念で目を覚ましたとか。

そして、何年もかけてようやく作品を買い戻したのだそうです。

それほどまでに思い入れのある1枚なので、

普段は、ゴールドマン氏の寝室に掛けられているとのこと。

そんな愛着のある絵を快く貸してくれたゴールドマン氏には、足を向けて眠れません。

なお、2017年にBunkamuraザ・ミュージアムで開催された、

ゴールドマンコレクションの河鍋暁斎展でも、本作は出展されています。

しかし、その時のタイトルは、《象とたぬき》でした。

ところが、近年の調査により、

暁斎が描いた他の狸とあまり共通点がないこと、

ほぼ同じ時期に同様の作品が制作されたことなどから、

本作のタイトルが、《象と子熊》に改められたのだそうです。

 

さて、そんな《象と子熊》からはじまる本展には、

《象と子熊》に負けないくらい“ゆるカワ”な作品が多数取り揃えられています。

 

河鍋暁斎の猫と鼠の絵
河鍋暁斎《鼠を捕らえた猫》 明治4~22年(1871~89) イスラエル・ゴールドマン・コレクション
 
河鍋暁斎の屏風絵:妖怪たちの宴
河鍋暁斎《百鬼夜行図屛風》 明治4~22年(1871~89) イスラエル・ゴールドマン・コレクション
 
 
中でも個人的に印象に残っているのは、
明治の初期に描かれたという 《蛙の射的場》です。
 
河鍋暁斎の蛙の射的場図
河鍋暁斎《蛙の射的場》 明治4~9年(1871~76)頃 イスラエル・ゴールドマン・コレクション
 

 

明治の始め、民間の室内射的場が営業を始めたそう。

暁斎はそんな明治の新しい生活をいち早く描いたようです。

さて、客の二匹の蛙は蓮の的を狙っています。

よく見ると、その手前には天井から吊り下げられた小さな蛙の姿が。

身体を張って的を守る役割なのかも。

ブラックバイトです。

 

それからもう一つ印象に残っているのが、《月下骸骨宴会図》

 

月下骸骨宴会図 骸骨が踊る

河鍋暁斎《月下骸骨宴会図》 明治4~22年(1871~89) イスラエル・ゴールドマン・コレクション

 

 

月夜の下で踊る骸骨たち。

その下には、魚の骨も描かれています。

おそらく一定の年齢層の人であれば、

この絵を観た瞬間、脳内で『ホネホネロック』が再生されたはずです。

 

 

 

 

さて、暁斎はこうしたゆるカワな戯画を得意とした一方で、

子どもの頃より狩野派の絵師に師事していたため、写生の腕前もピカイチ。

その筆が冴えに冴えわたった圧倒的な画力を感じられる作品も多数残しています。

 

月下骸骨宴会図:骸骨と踊る女性
河鍋暁斎《地獄太夫と一休》 明治4~22年(1871~89) イスラエル・ゴールドマン・コレクション

 

 

それらの中でひときわ目を惹かれたのが、

幽霊の役を得意とした五代目尾上菊五郎のために描かれた《幽霊図》

 

河鍋暁斎 幽霊図 妻の死顔写生
河鍋暁斎《幽霊図》 慶応4/明治元年(1868)頃~ 3年(1870) イスラエル・ゴールドマン・コレクション

 

 

幽霊の表情ややつれ具合が、妙にリアルだと思ったら、
明治末に飯島虚心が書いた『河鍋暁斎翁伝』によれば、
暁斎の2番目の妻・登勢の死顔の写生をもとにした絵とのこと。
妻の死顔を写生し、しかも、それを作品にしてしまうだなんて。。。
さすが“画鬼”と呼ばれるだけはあります。

 

 

さて、本展ならではの見どころとして、

展覧会のラストでは、暁斎の版画の数々が紹介されています。

 

河鍋暁斎の展覧会、戦絵図。

 

 

何を隠そう、ゴールドマン氏は、浮世絵を専門に扱う画商。
それだけに、摺りや保存状態の良い暁斎の版画を数多く集めてきました。
“今さっき摺ったのでは?”と錯覚してしまうくらいの美品ばかり。
もちろん暁斎の肉筆画も素晴らしかったですが、
想像以上に、暁斎の版画の数々にも感動してしまいました!
星星
 
 
ちなみに。
ゴールドマンコレクションの中には、いわゆる“お雇い外国人”として来日し、
日本の建築界に多大な影響を与えたジョサイア・コンドルの旧蔵品も含まれています。
ゴールドマン氏による暁斎コレクション第一号となる 《半身達磨図》もその1つです。
 
image
河鍋暁斎《半身達磨図》 明治18年(1885) イスラエル・ゴールドマン・コレクション
 

 

実は、コンドルは暁斎に弟子入りしており、

暁斎から「暁英」という号も与えられています。

毎週土曜日にジョサイア・コンドル宅で稽古が行われていたようで、

本展に出展されていた暁斎の絵日記にも、その様子が描かれていました。

 

河鍋暁斎絵日記、コンドル稽古の様子

河鍋暁斎《暁斎絵日記》 明治15~16年(1882~83) イスラエル・ゴールドマン・コレクション

 

 

画面右で横たわっているのが、コンドルとのこと。

正座ができなかったので、寝そべっているのだとか。

いやいや、正座は無理だとしても、他にもっとマシなポーズはあるだろうに。

一応、弟子なんだから!

 

 

 

 

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