千代田区にある日比谷図書文化館。
こちらで現在、開催されているのは、
“THE SHOWA MUST GO ON”という展覧会です。
「一度幕が上がったら、何があっても最後まで続けなくてはならない」。
英語圏のショービジネスで使われる慣用句、『SHOW MUST GO ON』かと思いきや。
よくよく見たら、『SHOW』ではなく『SHOWA』でした(笑)。
本展は、昭和100年を記念して開催されたもの。
昭和という時代を劇場を通じて、
それも、千代田区の劇場を通じて辿るという、
実にピンポイントな展覧会となっています。
さて、昭和をテーマにしてはいるものの、
展覧会自体は、江戸の劇場文化から始まります。
江戸の劇場と言えば、もちろん歌舞伎です。
いわゆる江戸三座があったのは、今の中央区。
千代田区のお隣です。
ちなみに。
会場ではその時代に関連して、
明治15年に誕生した近代初の興行規則、
「劇場取締規則」の一部がパネルで紹介されていました。
劇場側だけでなく、観客側にも規則が定められており、
裸や頬かむり、脱帽などが禁止事項とされていたようです。
裸は論外ですが、頬かむりや脱帽が禁止とは、かなり厳しい時代だったのですね。
さて、明治23年には、現在の千代田区神田に、
三菱が街ごと開発した「三崎三座」も誕生します。
なお、その三座のうちの1つが、川上音二郎による川上座です。
千代田区に民間による劇場が誕生するものの、
国立の劇場は財政事情により、なかなか実現しませんでした。
そんな中、伊藤博文と渋沢栄一が発起人となり、
明治44年に日本初の本格的な西洋式劇場として誕生したのが・・・・・
昭和41年についに実現した国立の劇場である「国立劇場」や、
ブロードウェイ・ミュージカルの初来日公演を実現した日生劇場、
今ではすっかりコンサート会場のイメージが強い日本武道館も、千代田区。
他にも千代田区に、東京宝塚劇場やシアタークリエ、TOHOシネマズなどがあります。
なぜ、千代田区日比谷エリアが、日本屈指の劇場街となったのか。
その立役者となった一人が、
宝塚歌劇の創始者でもある天才実業家・小林一三でした。
小林は、日比谷・有楽町エリア一帯を、
日本一健全なアミューズメントセンターにすると、豪語していたそうで。
それを見事に実現させたからこそ、今の日比谷や有楽町があるのです。
本展では多くの資料を交えながら、昭和における、
そうした千代田区の劇場文化の歴史が紹介されていました。
劇場の華やかな面ももちろん紹介しつつ、
戦時下における劇場への統制といった暗い影も紹介。
タイトルこそ、ちょっとはしゃいでいる印象ですが、
展覧会そのものは実に真面目な作りのものでした。

ちなみに。
正確にいえば、劇場ではないですが、
本展では、昭和のラジオ事情についても紹介されていました。
例えば、『りんごの歌』や『東京ブギウギ』は、
もともとは劇場で発信されていた音楽でした。
それがラジオの電波に乗って、
劇場が無い場所へも届けられたことで、終戦後に大ヒット曲となったのです。
また、ラジオの『のど自慢大会』などの影響により、
一般の人が劇場の舞台に立てるようにもなりました。
劇場とラジオには意外と深い関係があるようです。
さて、劇場とラジオにまつわるエピソードで、
もう一つ興味深かったのが、紅白歌合戦にまつわるもの。
実は、紅白歌合戦は昭和26年にラジオ番組としてスタートしたそうです。
それも、お正月の番組でした。
しかし、第4回からラジオだけでなく、テレビとの同時生放送の番組となることに。
テレビで放送するにあたろ、会場をNHKから華やかな劇場に移すことになりました。
ところが、正月の
そこで、放送時間が大晦日へと変更されました。
その時の会場となったのが、「日劇」こと日本劇場でした。
千代田区の劇場文化によって、大晦日の風物詩が誕生していたのですね!







