現在、東京ステーションギャラリーでは、
“大西茂 写真と絵画”が開催されています。
一見すると、何が何だかわからない、
これらの光景こそが、大西のいう『超無限』の世界なのです。
ところで、現代であれば、こうした光景は、
画像編集ソフトを使えば、簡単に作れてしまいますが。
大西が活動したこの時代には当然、パソコンはありません。
これらはすべて、多重露光やソラリゼーション(白黒反転)といった、
写真の暗室技法を過度に行う、あるいは組み合わせて制作されています。
時には、刷毛やスポンジで不均一に現像液を塗り、あえてムラを生じさせることも。
そうして偶然に完成した写真は、
『ゴジラ-1.0』のロゴのようになっていました。
大西が制作に取り入れていた手法自体は、
マン・レイらシュルレアリストのそれに似ていますが。
彼は決してシュルレアリスムを意識していたわけではありません。
それゆえ、完成した作品は、シュルレアリスムの作品というよりも、
モノクロながら、どこか晩年のモネやゴッホに通ずるものがありました。
そして、瀧口修造ら著名な評論家に称賛されました。
これは写真なのか?写真ではないのか?
当時の写真雑誌でも大西の作品は取り上げられ、
マヂラブの漫才論争ばりの論争を巻き起こしたそうです。
しかし、当の大西は30代に入ると、
写真の制作をぱったりと辞めてしまいます。
そして、絵画を制作するようになりました。
大西にとって、絵画と数学は補完し合う関係にあったそうです。
超越的なものを直観した“
・・・ちょっと何言ってるかわからないですが(笑)。
おそらく、大西にとってこれらの絵画もまた、『超無限』を表しているのでしょう。
なお、大西にとっては、絵画も写真と同様に、
発表するために制作し始めたものではなかったですが。
制作を始めた時は、ちょうど1950年代後半。
アンフォルメル旋風が巻き起こっていた時代でした。
来日していたフランスの評論家ミシェル・タピエの目に留まり、
彼が企画したアンフォルメル展に大西の作品が出品されることとなります。
その後もタピエは積極的に、大西の抽象画をヨーロッパで紹介していたそうです。
ちなみに。
美術界で名を残すことに興味が無かった大西は、
タピエとの交流がなくなるのを機に、美術界から急速に忘れられていきます。
晩年は実家の岡山に戻り、両親の介護をしながら、
ひたすら静かに『超無限』の研究を続けたそうです。
ところで、2度あることは3度ある。
2010年頃より三たび、大西の意思とは関係なしに、
彼の作品が美術界で大きな注目を集めるようになります。
ニューヨークのMoMAに写真作品が収蔵され、
オランダやスぺインで立て続けに個展が開催されました。
そう、日本での知名度こそ今一歩ですが、
今や大西茂は「世界のオオニシサン」となったのです。
伊藤若冲や渡辺省亭、川瀬巴水のように、
大西茂も逆輸入でブームになる可能性は。
そういう意味でも見逃せない展覧会です。

ちなみに。
大西茂の写真も絵画も、味わい深かったですが、
個人的には、彼の書く文字も同じくらい味わい深かったです。
最初のほう(?)は、時おり、
“払い”にクセが少し見られる程度でしたが。
だんだんと“払い”の個性が強まっていって、
最終的には、まるで文字が意思を持っているかのようでした。
寄生獣的な。













