いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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今年2025年は、1965年の日韓国交正常化から60年目の節目の年。

それに合わせて、横浜美術館のリニューアルオープン記念展の1つとして、

現在、韓国の国立現代美術館(MMCA)との共同企画展が開催されています。

その名も、“いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年”

 

横浜美術館「いつもとなりにいるから」展メインビジュアル
横浜美術館「いつもとなりにいるから」展 会場風景
 
 
どうでもいいですが、初めてこのタイトルを聞いた際、
韓国繫がりで、なんとなくチャン・ドンゴンがチラついてしまい、
彼の声で「イチュモトナリニイルカラー!」と脳内再生されてしまいました。
・・・・・って、本当にどうでもいいですね。
 
 
さて、本展は50組以上の作家による約160点を通じて、
1945年以降の日韓美術の関係史を紹介する展覧会です。

約3年間のリサーチと準備期間を経て実現したもので、

来年には、韓国の国立美術館での開催も予定されています。

星

 

展覧会は、全5章立て。

まず1章は「はざまに─在日コリアンの視点」と題し、

在日コリアン1世の作家の活動にスポットが当てられています。

冒頭で“1965年に日韓国交正常化”とお伝えしましたが、

戦後から約20年も正式な国交が結ばれていない時期が続いていました。

その頃に活動した在日コリアン作家の中で、

近年再評価が進んでいるのが、曺良奎(チョ・ヤンギュ)です。

官憲による逮捕を逃れ、日本には密航でやってきたという曺。
公募展や個展で活躍するものの、1960年に北朝鮮帰還事業で帰国しました。
以降、その消息は現在もなお不明のままです。
こちらは、そんな曺の代表作 《マンホールB》
 
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曺良奎《マンホールB》 1958年 宮城県美術館
 
 
彼の半生を知った上で観ているからでしょうか、
ぽっかりと空いたマンホールの穴が、意味深に思えてなりません。
まるでその後の人生を予期しているかのようです。

 

続く2章は「ナムジュン・パイクと日本のアーティスト」。

 

ナムジュン・パイクと日本のアーティスト展

横浜美術館「いつもとなりにいるから」展 会場風景

 


“ヴィデオ・アートの父”ことナムジュン・パイクは、
1950年に来日し、東京大学の美学美術史学科に学びました。
その後、国際的に活躍しますが、生涯にわたって、
日本のアーティストやクリエイターたちと親交を結び続けています。
オトナの事情で写真は撮影できませんでしたが、会場では、
そんなパイクの代表的なプロジェクト『バイ・バイ・キップリング』も上映されていました。
『バイ・バイ・キップリング』は、東京とニューヨーク、ソウルを衛星中継で結んだプロジェクト
今では何の驚きもありませんが、1986年時点では衛星中継は画期的も画期的でした。
それを日本で初めてエンタメ化したのが、実はナムジュン・パイクだったとは!
なお、映像内には若き日の坂本龍一や磯崎新も登場していました。
 
 

さてさて、3章は「ひろがった道 日韓国交正常化以後」。

こちらでは、1965年の国交正常化以降の日韓の美術の動きが紹介されています。

国交が正式に結ばれたことで、日本でも韓国でも、

現代美術を紹介する展覧会が開催されるようになりました。

1968年には東京国立近代美術館にて、“韓国現代絵画展”が開催されています。

その出展作家の一人が、関根伸夫さんでした。

 

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関根伸夫《位相 No.13》 1968年 豊田市美術館

 

 

そして、その作品のビビットなカラーリングに、

多大な影響を受けたのが、若き日の李禹煥さん。

彼はほぼ同系色の《風景 (I) 》《風景 (II)》という作品を制作しています。

 

鮮やかな赤の二枚の絵画
李禹煥《風景 (I) 、(II)》 1968/2015年 個人蔵(群馬県立近代美術館寄託)
 

 

写真では、発色ぶりは伝わりませんが、

実際の作品は想像している以上に、まばゆいです。

目にすると、その強烈な色彩がまぶたの裏に焼き付くこと必至!

しばらく、この強烈な色彩がまぶたにこびり付いて離れませんでした。

 

ちなみに。

その数年後の1975年には、銀座の東京画廊で、

韓国の明東画廊と協働した展覧会が開催されています。

その名も、“韓国・五人の作家 五つのヒンセク〈白〉”。

 

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“韓国・五人の作家 五つのヒンセク〈白〉” 出品作家作品

 

 

東近美の展覧会でのカラフルでパワフルな印象から一転、

こちらの出展作は白を基調とし、シンプルかつプリミティブな印象に。

どこか、民藝運動のメンバーが好んだ朝鮮の白磁の壺を彷彿とさせるものがありました。

 

 

・・・・・ところで、ここ第3章までは、

日本における韓国人作家の活動が中心に紹介されていました。

では逆に、日本人作家は韓国で活動していたのでしょうか。

その答えは、否。

ほとんどその例は確認されていません。

こうした状況に風穴を開けたのが、中村政人さんです。

彼は、韓国政府の国費留学生として、

美術大学の名門・弘益大学大学院に入学しています。

そんな中村さんが現地でアンケートを実施したところ、韓国の人々にとって、

「不快な気分を感じる日本人の姓」の1位が「中村」という衝撃的な事実を知りました。

ちなみに、2位は「村上」だったそう。

そこで中村さんが、友人の村上隆さんとともに、

1992年に開催したのが、伝説の展覧会“中村と村上展”です。

本展ではその出展作の数々が紹介されています。

 

バーバーポール型オブジェと美術館展示空間
中村政人《トコヤマーク/ソウル》 1992年 個人蔵

 

 

名字に不快な気分を感じるだなんて、
言いがかり以外の何でもないような気もしますが。
そこで腐らずに、むしろあえて逆手に取って展覧会を開いてしまう。
そのタフさに感銘を受けました。
 
展覧会を締めくくる5章「ともに生きる」では、
1980年代から現在までの日韓の作家の取り組みにフォーカス。
日本国家の韓国に対する戦争責任を問い続けた富山妙子や、
在日コリアン2世のパートナーを持つ高嶺格さんの作品が紹介されています。
なお、本展のメインビジュアルに採用されているのは、
こちらの田中功起さんによる 《可傷的な歴史(ロードムービー)》です。
 
日韓アート展の映像作品を鑑賞
田中功起 《可傷的な歴史(ロードムービー)》 2018年 個人蔵
 
 

在日コリアン3世と、日系アメリカ人にルーツを持つスイス人。

そんな2人が日本各地を移動しながら対話を重ねるという映像作品です。

在日コリアンに対する差別の歴史を学び、実際にその現場を訪ねる2人。

やがて彼らはお互いの立場や背景を理解し合っていく・・・のだそうです。

伝聞でお伝えしたのは、すべての映像を観るには2時間近くかかってしまうから。

作品をフルで鑑賞したい方は、時間に余裕を持って展覧会を訪れてくださいませ。

 

 

 ┃会期:2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日)

 ┃会場:横浜美術館

 ┃https://yokohama.art.museum/exhibition/202512_jkart1945/

 

 

 

 

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