今年、総合開館30周年を迎える東京都写真美術館。
それを記念して2025年の一年間は、
さまざまな記念展がラインナップされています。
この夏開催されているのは、“ルイジ・ギッリ 終わらない風景”という展覧会。
イタリアを代表する写真家ルイジ・ギッリの日本初、
いや、アジアの美術館初となる大規模展覧会です。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
もともとは測量技師として働いていたというルイジ・ギッリ。
30歳の頃に、コンセプチュアル・アーティストたちと出会い、
彼らの作品の撮影をするようになり、写真家へと転向します。
なお、享年は49歳。
写真家として活動したのは20年にも満たないにも関わらず、
イタリアのカラー写真界のパイオニアとして大きな足跡を残しました。
ちなみに、映画監督のヴィム・ベンダースも、ギッリに大きな影響を受けた一人。
彼はギッリを「最後の、真のイメージの開拓者」と評しています。
さて、そんなギッリを本格的に紹介する本展には、
初期から晩年まで約20年間で制作した約130点が出展されています。
その多くが、このためにイタリアから来日したものばかりです。
本展の冒頭で紹介されていたのは、ギッリの初期の作品群。
パッと見は、コラージュのようですが、
実はすべて、実際に街で撮影されたものです。
ポスターのある風景や、鏡が映り込んだ風景などを撮影し、
2次元の世界と実際の風景とを等価に扱うことを試みたのだそう。
彼はその手法を「フォトディスモンタージュ(脱構築された写真)」と呼びました。
その概念を聞くと、小難しい印象を受けますが。
実際のギッリの作品は、理屈を抜きにして観ても、
いや、むしろ理屈を抜きにして観たほうが楽しめます。
どれも詩的で、どれも余韻があって、
どれも極上のショートムービーのような味わいがありました。
なお、ギッリの興味はその後、「見る/見られる」の関係性へとシフトしたようで。
展示物や地図を観る人と観られるモノ、
そして、それらを撮影するギッリ自身を1枚の写真で表現しました。
写真としては、そこで完結しているわけですが。
この作品が展覧会に展示された場合、
その写真を観ている鑑賞者(僕)という、
新たな「見る/見られる」の関係性が生まれるわけで。
もし、ギッリが生きていたら、その鑑賞者(僕)の姿を撮影したのかも。
すると、その写真がまた展覧会に出展されて・・・(以下繰り返し)。
「見る/見られる」について考えを巡らせていたら、
いつの間にか思考の無限ループに陥っていました。
さて、初期のほうは、わりとコンセプチュアルな作品が多いギッリでしたが。
中期から晩年にかけては、あえて作家性を消したようなスタイルに。
もちろん、センスまでも消すことはできないので、
ギッリの作品であることはちゃんとわかるのですが、
極力まで余計なものをそぎ落とそうとしているような印象を受けました。
まるで「余白の美」のような。
なんとなくですが、俳句に近いものを感じました。
なお、展覧会のラストでは、ギッリの代表作ともいうべき、
画家のジョルジョ・モランディのアトリエを撮影した写真が紹介されています。
ギッリが撮影した写真は、モランディよりもモランディでした(←?)。
作家性を消そうと努めた結果、もはや対象と同化してしまったのかもしれません。


ちなみに、本展では、ギッリの作品以外に、
グラフィックデザイナーのパオラ・ボルゴンゾーニの作品も紹介されています。
パオラ・ボルゴンゾーニは、ギッリの妻。
彼の作品のモデルを務めることもあれば、
ギッリが仲間たちとともに立ち上げた写真専門の出版社、
「Punto e Virgola」の書籍のデザインも担当しました。
まさにギッリの活動を語るうえで欠かせない存在です。
出展作の中には、そんな2人の仲睦まじい姿が映されたポラロイドも。
プライベートを見せないタイプの人だと、
その作風から勝手に思い込んでいただけに、
なんだか見てはいけないものを観てしまったような感覚になりました(笑)。
┃会期:2025年7月3日(木)~9月28日(日)
┃会場:東京都写真美術館
┃https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-5073.html













