恐怖の正体 | 雷人の部屋〜催眠術師/メンタリストが見る潜在意識の世界

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ココロとカラダ、ときどきタマシイの話。

先日、8年ほどお世話になっている演技の先生のワークショップにて、パネリストとして参加させていただいた時のこと。

 

目の前にはたくさんの8年前の俺がいた。

自分のことが嫌いで受け入れることができず、外に答を求めて、何か新しいことにチャレンジしたいとは思っているけれど、その一歩がなかなか踏み出せない、若い演技者たち。

 

彼らに質問されたとき、それは他人事ではなかった。

まるで8年前の自分自身に聞かせるかのように、アドバイスさせて頂いた。少しでも響いたものがあれば良いのだが。

 

さて人が一歩を踏み出せないのは、それが怖いからである。

踏み出して仕舞えばなんてことないんだけど、実際にやってみるのは本当に難しい。

 

恐怖の本質とは何か?

それは「未知である」ということだ。

 

暗闇が怖いのは、そこに何があるのか、何が起きるのかわからないから。

わかっていればそんなに怖くないはずだ。

幽霊だって、その正体が生体エネルギーかもしれないし、脳の錯覚かもしれないが、正体がわかれば対処のしようもあるというもの。

 

結果がわかっていれば、行動を起こすこともそんなに怖くはない。たとえ失敗する場合でも。

 

投資をして、どれくらい損をするのか確定していたら、嫌だろうけど怖くはない。

告白してフラれる、ということがわかっていれば、(やる気は起きないだろうけど)そんなドキドキはしないだろう。

 

出来るかどうかわからないから、恐怖心が生まれるのだ。

 

行動するのであれば、その結果、成功すればどうなるのか、失敗したらどうなるのか、をじっくりと考えれば、そんなに怖く無くなる。

まだ怖いときは、その恐怖はどこから来るのか、じっくりと見つめる。そうすればまるで氷のように、恐怖が溶けていく。

 

とは言うものの、その見つめることも怖いのだが。

そこに自分の醜い部分が原因だとわかると、なおさら見つめたくなくなるのだが。

 

だがそういうものに向かい合おうとする勇気にこそ、観客の心はいちばん打たれるのだ。

 

もしパフォーマーたらんと欲するのなら、そこは避けては通れない。

挑戦は我々の義務であり、特権である。