実家に活動の軸足を置いて、4ヶ月が経った。

 

突然の帰省は引っ越しレベルの民族大移動で、インコ5羽を連れ、仕事がどこでもできるように整え、パートナーを放り出し、わたしは考える間も余裕もないまま実家へと戻った。

 

兄が唐突に病を得て、年老いた両親の代わりにわたしが兄とタッグを組み、ただただ目の前のことにだけ意識を払い、ともすれば情報の波に溺れあっという間に足元を掬われそうになる、そのことに抗いながらも、気を抜かず、一歩一歩着実に歩みを進めてきた。

きたはずであった。

 

その着地点が予想もつかない場所であった時、さすがのわたしも嵐に呑まれ、思い通りにいかない、うまくいかない、終わりが見えない、そのことに打ちのめされた。

 

 

だからしばらくの間、自分に潜ることにした。周りに一切そのことを漏らさず、ただただ自分の内側だけで「それ」を舐め尽くすように味わってみたのだ。

 

 

苦くて、からい、あちこちがザリザリ擦りとられるような痛み。

八方塞がりのように見える、底なし沼のようなどす黒い怒りと絶望の中で。

 

 

光など全く見えなかったその中で、無理に這い上がろうとしなかったことで、わたしは「わたし」という存在のちっぽけさを、嫌気がさすほど思い知らされた。

 

 

そしてやっとそこから立ちあがろう、と決めた時、まずはバッキバキに疲れた身体を緩めようと、箱根に行くことを決めた。

 

 

その時ちょうど、「北欧暮らしの道具店」の連載企画で、佐藤店長が高山なおみさんのご自宅に伺う企画が近日中にアップされる予定だと知り、久しぶりに楽しみで心がワクッと踊った。

 

 

大好きなお二人。

大好きな場所。

 

 

私はどうしてもこの箱根の旅で高山なおみさんの「帰ってきた日々ごはん」が読みた

くなって、家の本棚を探ったのだけれどなぜかお目当の本が見つからない。

 

買ったまま放置していた最新刊は、どこを探しても出てこず終いで、そして何度探しても、目の前に差し出されるのは「帰ってきた日々ごはん⑮」であったのだ。

 

 

こういう時にはきっと、わたしのわからない「理由」が存在する。

だから潔く「最新刊を絶対読みたい」というエゴをさらっと脱ぎ捨て、その本を抱えて箱根に向かった。

 

 

 

そのわけは、のちに知ることとなる。

 

 

箱根で身体を緩め、美味しいものを食べ、景色に癒され、感性をひたひたに潤した数日あとに、少し熱を出し、私はせっかくアップされた動画をしばらく見ることがなかった。

 

 

そして、やっと昨日動画を観た。ゆっくり、落ち着ける、自分の時間を創って。

 

 

そこには、予想など遥かに超えた、やさしくて、あまくて、ある意味厳しく、ある意味とても潔い、人生の機微が描かれていた。

 

 

 

2004年刊行「日々ごはん①」の紹介文をここに記します。

 

 

高山さん自身もお書きですが

この本には淡々と積み重なる日常の力、

暮らしてゆくことの

何者にも揺るがしがたい

強さが描かれています。

編集作業を進めながら感じたことは

人の日常の色彩の豊かさ、鮮やかさでした。

 

お料理の本の著者として接している

「仕事中」の高山さんと

嬉しいことがあった日も疲れた日も

二日酔いの日も

それこそ亀のように一文字ずつ日記を書き続ける

「ひとり」に戻った高山さん。

そのふたりの高山さんのあいだで

日常のなんて背もない出来事が

思いがけないストーリー語り出す

その魔法のような瞬間に

幾度も立ち会いました。

 

この本は

高山さんの日々が続く限り

(きっと)ずっと続きます。

 

この小さな日常の冒険譚を

これからもどうぞご愛読ください。

 

アノニマ・スタジオ

 

 

この日、佐藤店長が高山さんの家に持参したもの。

それは「帰ってきた日々ごはん⑮」だった。

 

この中に、愛おしくて、うつくしくて、とても大切な「決意」が言葉で表されている。

 

 

 

あの時「帰ってきた日々ごはん⑮」を宇宙がわたしに差し出してくれた。

 

 

 

つづきます。

 

 

 

 

画像はHPよりお借りしています