大好きだった母に、「大好き」と言えないまま
母は亡くなった。
だがその後、私の気持ちは明らかに変わった。
(その6)です。
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自分が「本当は母が大好きだった」と認めてから、
そう思いたくなかった自分が、とても愛おしくなった。
怖がっていて
肩をすくめて
ブルブル震えて
涙が流れないように頬の奥をぎゅっと噛んで
そうしながら、心の奥で
「私を嫌わないで!」
「私を愛して!」
「大好きって言って!」
といつも叫んでいた。
そんな自分に気付いて
「かわいいな。」
と思えるようになったとき、
私は、自分から何かが抜けていったような気がした。
すごく、楽になった。
「怒ってる?」と言われなくなった。
素敵な人と、たくさん出会うようになった。
いや、正確には、
ほかの人の素敵なところが、やっと見えるようになってきた。
そうすると、仕事が面白くなってくる。
やりたいことがいろいろあって、それを応援してくれる仲間もいて、
実現していくのが楽しかった。
任せられる内容も増え、
やるべきことが多くなり、
それに伴って、新たな問題も増え・・・
いつの間にか私は、
「問題」を見つけ、それを「解決」するために
「やらなければならない」ことを、
どんどん自分で作っていった。
それでも自分自身の満足感は高い。
「一生懸命やっている」自分に満足し、
周囲の感謝の声に満足し、
自分の基準に合わない人を問題視し・・・
常に、
「解決」するための「問題」を探していった。
そんな毎日が続いたある日、
義母の様子がおかしくなってきた・・・
物忘れの頻度があがる。
「眠れない」「食べたくない」と訴える。
くよくよするようになり、
何に対しても意欲が見られない。
持病の診察で病院に行き、
お医者さんにみてもらっているにもかかわらず、
「誰も私を診察してくれなかった!」と騒ぐ。
「認知症かな?」と私は思い、
夫に相談したが、
「そんなことはない」とつっぱねられた。
義父は、もたもたしている義母の行動にイライラし、怒鳴ることが多くなった。
息子である夫は、心配して
「体を動かせ」「水を飲むといい」
などとアドバイスするが、
義母はやりたがらない。
「どうしてこんなにできないんだ」
「どうしてこんなにわからなくなったんだ」
「もう生きているのがいやだ」
そうくり返す義母に対して、
私たちはどうすることもできず、
家の空気はどんどん重くなっていった。
私は相変わらず忙しく仕事をしていたが、
できるだけ早く家に帰るようにした。
義父と義母が二人だけでいる時間を
少しでも減らすことで、
二人が楽になるから。
そうすると、
今まで職場でこなしていた仕事に
しわ寄せが生まれる。
それを休日出勤でカバーするようにした。
私は、
だんだん疲れていった。
ある日の早朝、2階の寝室で目が覚めると、
部屋が煙り臭い。
!?
あわてて1階の台所に下りていくと、
義母が、煙りだらけの台所で、
真っ黒に焦がした鍋と、
必死に消すときに使ったらしい
焦げた雑巾の前で
パジャマ姿のままうずくまり、
一人で泣いていた。
「なんでだ・・・なんでだ・・・」
とくり返しながら。
義母をなぐさめ、後片付けを終えた私は、
その足で夫が寝ているところに行き、状況を説明した。
そして、夫に行った。
「私、仕事やめるよ。」
夫は、「分かった。」とうなずいた。
(その7)「ジャッジ」へ続く・・・
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