こんにちは、キナリです。
今日は、前回から続いて「認知」というテーマを、少し別の角度から掘り下げてみたいと思います。
四柱推命を学んで気づいたこと
ずいぶん昔のことですが、占い好きの生徒さんに誘われて、
四柱推命、生年月日から読み解く占いを学んでいた時期がありました。
当時は今のように簡単に検索できる時代ではありませんでしたが、
今は生年月日を入力すると、性質や傾向がたくさん出てくる時代になりました。
教室では先生が芸能人や仲間の命式を題材にして、
「この人はこういうタイプですね」「ここにこんな特徴がありますね」
と読み解いてくださっていました。
最初の頃の私は、それをどこか「正解を当てるもの」だと思っていました。
生年月日が同じなら、答えも大体同じようなものが導き出される。
そんなふうに思っていたんです。けれど、学んでいくうちに少しずつ違和感を感じ始めました。
同じ命式を見ても、先生によって見方が違う。学びが深くなると、先生の見方に疑問が出て、
別の先生に見てもらうとまた違う。同じ材料を使っているのに、受け取る世界が違う。
その時に気づいたんです。見ているのは命式そのものではなく、
その人の認知や感性を通った世界なんだ、と。
人は世界を見ているようで、自分の認知を見ている
ここから、認知の話につながります。
私たちは普段、「現実を見ている」と思っています。
でも実際には、現実そのものを見ているというより、
自分の経験
自分の価値観
自分の知識
自分の期待
自分の感情
そういうフィルターを通して世界を見ています。
だから同じ出来事でも、ある人には挑戦に見える。ある人には危険に見える。
ある人には美しい変化に見える。ある人には不安に見える。
世界が違うのではなく、認知の通し方が違うのです。
以前お話した「何を見るか」「何に時間を使うか」「何を美しいと思うか」にも通じます。
占いをやめた理由
だから私は、その頃から占いから少し距離を置くようになりました。
占いが悪いと思ったわけではありません。むしろ逆でした。
先生の感性や認知が大きく影響する世界なのだと気づいたからです。
だったら、誰かの認知を借り続けるより、自分自身の認知を育てる方が大切なんじゃないか。
自分が何を見て、何を感じて、何を選ぶのか。そこに人生が現れていくのではないか。
そんなふうに思うようになりました。
認知を育てるということ
けれど認知を育てるほど難しいものはない。
知識を増やすことや、技術を身につけることとは少し違います。
認知というのは、世界の見方そのものだからです。
そしてそこには100%の正解がありません。完璧な見方もない。
同じ景色を見ても、今日の自分と明日の自分では感じ方が変わることもあります。
だから認知を育てるというのは、何か正しい答えに到達することではなく、
少しずつ見える景色を広げていくこと。少しずつ深く感じられること。
そんな営みなのかもしれません。完成ではなく、成熟。
けれど、成熟という言葉もまた抽象的です。
成熟した人って、どんな人なんだろう
認知を育てるということを考えているうちに、
今度はこう考えるようになりました。
では、成熟した人ってどんな人なんだろう。
そんなふうに思うと、自然と成熟していそうな人に会ってみたくなリました。
話を聞きたくなリました。近づいてみたくなりました。
そう思って成熟していそうな方々に近づくと、、、
でも意外と、1時間くらい話していると、「あれ?」と思うことがあります。
この人成熟しているなと思ったのに、別の場面では驚くほど幼く見えたり、偏って見えたりする。
逆に、未熟そうに見えた人が、ある瞬間にものすごく深い理解を見せたりする。
そこでまた気づくんです。
成熟というのも、認知と同じで、単純なものではないのかもしれないと。
人には成熟している部分と育っている部分がある
昔は、成熟というのは年齢を重ねた人や、落ち着いた人、立派な人にあるものだと思っていました。
でも実際はそう単純ではありませんでした。
たとえば、小さな子ども。
本当は明日の学校の用意をお母さんに手伝ってほしい。
でも、お母さんが今仕事から帰ってきたばかりで、ご飯も作らないといけない。
疲れていそう。だから少し我慢する。「今は言わない方がいいかな」
そうやって相手の状況を感じ取ることがあります。
そんな姿を見ると、子どもなのに、とても成熟していると感じることがあります。
反対に、大人でも、
人が話している途中なのに横から割って入る。自分の都合だけで動く。
そんな場面を見ると、年齢や経験と成熟は別なのかもしれないと思うことがあります。
もちろん、その人全体を見れば別の部分では成熟しているのかもしれません。
仕事では成熟している。人間関係では揺れる。
精神的には安定している。知識は豊富。でも感情はまだ育っている途中。
そんなふうに、人は領域ごとにずいぶん違うんだなと思われました。。
だから期待が外れたというより、その人は、「成熟している人」
ではなく、「成熟している部分を持っている人」
だっただけなのかもしれません。
そしてその発見は少し寂しい反面、少し安心でもありました。
完全な人を探さなくなリました。誰かを理想化しすぎなくなりました。
丁寧に見るという実践
同じ世界なのに、なぜ違って見えるのか。
その問いは、誰かを評価するためではなく、
自分自身の認知を育てる入り口なのかもしれません。
けれど、入り口と言っても、何か特別な答えを見つけることではないのだと思います。
丁寧に感じること。丁寧に考えること。
自分の中に一度入れてみること。目の前の出来事や人や物を、急いで結論づけないこと。
ここで言う「丁寧に見る」というのは、
ただ時間をかけてゆっくり見るという意味ではありません。
ひとつの印象だけで決めないということ。
一人の人の中にも、いろいろな側面があります。
だから、まとめて判断するのではなく、少し分けて見てみる。広く感じ取ってみる。
そんな姿勢なのかもしれません。
だから私は、できるだけたくさんの人と会って、
素敵だなと思う人、心が動く人、ときめくもの、美しいと感じるものに近づいてみたいと思っています。
そして、その出会いをすぐに正解や不正解にせず、
自分の中で丁寧に感じ、丁寧に考え、少しずつ認知として育てていく。
そうやって少しずつ見える世界が変わっていく。
その積み重ねそのものが、
成熟していくということなのかもしれません。
【開催概要】6月24日(水)
*時間: 23時より 10分間
*参加費:無償
*内容:遠隔ヒーリング
《キナリのシャバーサナ》
今週のテーマは
「認知を育てる身体を作る」
💡 フィードバックについて
毎回、参加者さまからの
フィードバックをいただくことは、
ご自身の変容を実感し、さらに深めるためにとても大切です。
小さな気づきや体感も、
記録し言語化することで、
身体と意識の変化がより明確になり、
情報空間の書き換えが加速します。
この1年間を通して、皆さまが少しずつ深まるシャバーサナを体験し、
心と身体の変容を見届けていく時間としていただければ幸いです。
お申し込みは、毎週募りますので、
ご面倒ですが、
「ヒーリング希望」と
明記の上ご連絡ください。
✨お申込みについて✨
この遠隔ヒーリングは
毎週ご参加希望の週ごとに
お申込みが必要です。
1回お申込みいただくだけで
自動的に毎週参加になるわけでは
ありませんので、
お手数ですが毎回お申込みLineに送信してください。
*ご感想を頂いた際に次回のお申し込みは
承っております。
お申し込み受付は6月23日の24時までです。
本日もご感想を紹介します。
ブログ掲載へのご快諾をありがとうございました。
「頭からゆらゆらとエネルギーが入り、肌表面や顔、頭、手や腕に気感が生じ、内側に満ちてくるような心地よさがありました」
最後は丹田が充実し、安定して座ることができました。
また別の方からは、
「お腹に感じる程よい温かさから始まり、足先から溶けるように身体が緩み、その後は夢うつつの時間を過ごしました」
目覚めたときにはヒーリングはとうに終わっていた時間でしな。翌朝の目覚めもとても良かったです。
気感として受け取られる方。
温かさや眠り、深い休息として受け取られる方。
けれど共通していたのは、身体が安心して緩み、それぞれの自然な感覚へ戻っていくような時間だったことです。
感じ方は毎回違っても、
大切なのは、その日の身体と心に起きている変化を比べず受け取ることです。
そうして自分自身の感覚と言葉を丁寧に積み重ねていくことが、認知への理解を深め、
少しずつ自分本来の心地よさとつながっていきます。
今回も素敵なご感想をありがとうございました。
