卑弥呼と会津<5>
*何度か対馬を訪れたことはあるので、この地図(混一疆理歴代国都之図)を見る度に強い違和感を覚えてしまう。朝鮮国との距離があまりにも近いー実際とはまるでかけ離れているー。とても『倭人伝』にいう「千里」の距離ではない。李氏朝鮮国の人によって付け加えられたとするなら、ある意味当然だという気がしてくる。まるで「対馬」は朝鮮国、そんな主張(作為)を声高にしていて、それは現在(韓国)にまでも届くかのような訴えで、<欺瞞>を押し通す、あの根深さが見えてくる。
おそらく、「卑弥呼の時代」には、現代に近い地理認識があったように思われてならない。それこそ「倭国」であったに違いない。
確かなものを根拠にして推理する
伊都国〜奴国が基本になる
『倭人伝』にいう対馬国は、現在の対馬島と分かっているので、異論はないと思う。その他の末盧国とか不弥国とかを科学的(考古学的)にどう特定できるのだろうか。『倭人伝』の(帯方)郡から狗邪韓国まで七千余里……に始まる、幾つかの区間でのその旅の方角や距離は、『倭人伝』のどの活字を信用して良いのだろうか。(今まで文献学的には先の例にあげたように、東南を東北へ━━角度が九十度も開いている━━訂正したりして旅を進めている研究が多い)。このように訂正して先に進んでよいのだろうか?
はっきりしていることは、まちがったものを根拠として推理すれば、多くの場合、まちがったけ結論が導き出されるということである。邪馬台国が、まちがった地域に浮上してしまう、そういう心配がある。そういうことだから、その時代で客観的なもの、科学的に信憑性の高いものを基礎にして、論理を展開しなければんらない。科学の進んだ現代では『倭人伝』の場合、ズバリ、根拠の固い第一番目の区間は、“伊都国から東南へ百里進むと奴国(なこく)に至る“となる。
というのは、考古学の研究の結果、伊都国とは築前国(福岡県)怡土(いと)郡(前原市)。そこの弥生時代の遺跡のある三雲遺跡群がその中心地と比定されている。(図3A)。井原平原(いはらひらばら)遺蹟も近い。
また、奴国とは、あまりにも有名な金印「漢委奴国王」が出土した志賀島を含む博多(福岡市)であることが証明されている。(奴国王が後漢の光武帝から五十七年に金印を授かっている。『後漢書』「東夷伝」。そこには須玖・岡本遺跡、鋤崎古墳群等、多くの遺跡が集中していて、福岡市内を中心地と比定することができる。
方角についても、伊都国から奴国は、この中国古地図を使えば、ほぼ東南となる。文字通りで、いままで多くの研究者にあった「東南を東北」と読み換える必要もない。
距離についても、伊都国〜奴国の区間は、道が真っすぐに近く、歩くにも、妨げはないと思える。すなわち、普通に歩いて、それがそのまま歩速(速度)となる(当り前で、何を不思議な事をいうのかと、思われるかもしれませんが、後で説明します)。この区間を測ると、実際距離で約二十キロメートル(以下は、キロ)になる。この距離が、『倭人伝』で百里と記録されているので、百里=二十キロとなる。計算すると一里は約二百メートルになる。一里はどの位の長さっだたかは諸説ある。魏の時代の物差しはまだ発見されていないから長里(ちょうり)(一里が約四百三○メートル)ではなく、短里の二倍となってしまった。厳密にはもっと細かく、単位のセンチメートルまで求める必要があるのかもしれませんが、とりあえずは約二百メートルで説明していきたい。
そこで、「一里は二百メートル」を「中里(ちゅうり)」と名づける。
伊都国(の中心)から奴国(の中心)まで、歩いてどの位かかったのだろうか。
人間の歩く速度は、成人で一時間四キロほどであるという。昔もそれは、そんなに変わらなかったと思う。
『倭人伝』の使節のような場合には、一日、何時間歩いた(労働した)のだろうか。記録からは分からない。一日に歩く時間を、多少、主観的ではあるが無理のない程度の五時間とし(四時間では少なく、六時間ではハードと思う)、話を進める。すると距離はその積(速度×時間)で二十キロとなる。一日二十キロ歩くことができた。藤沢偉作先生が『邪馬台国は沈まず』の中で、一日の行程二十キロ余り(二○・七五キロ)を是認されている。この距離は伊都国〜奴国の実際の距離(百里)である。(図3)
『倭人伝』に、「駐」という言葉が使われている。そのため、魏国の倭国への使者は、倭国内での陸上交通には、歩きではなく馬を使ったとする説があるが、しかし、同じ『倭人伝』には、倭に存在しないものに、牛もそうですが、「馬」と記載されている。故に魏の使者は馬に乗ることができず、歩いたのである。
※ 文中、金印「漢委奴国王」とあるが、これへの疑念
(江戸時代の偽作論)が近年提示され、未だその判定
が明らかになったとは聞いていない。この疑念に合
わせて、思ってしまうのは、耶麻郡山都町宮古の字名
である。
『蓬莱』である。これは福島市にもある地名である。
