<邪馬台国と耶麻郡2>
P11〜
第一章 邪馬台国の探し方 (文献学的証明)
(1)「魏志倭人伝」とは
編者の陳寿は嘘をついているのか?
邪馬台国はいづこにあるのか?その女王、卑弥呼とは?
邪馬台国は、現在、二大有力説となっている北部九州か、
大和を中心とする近畿地方にあったのだろうか?
それとも、大地震や大噴火で、海中深く沈んだり、溶岩の
下に埋もれているのだろうか? (ポンペイのように)
はたまた遠く、遥か外国のジャワやスマトラ、エジプトに
あるのか?(不思議に思われるかもしれないが、大学の先
生のこういう学説もあるのです)
それどころかU F Oで国毎(くにごと)そっくり、地球外に
飛び去ったのだろうか?
これらの可能性以外は、あり得ないのだろうか?
遠く江戸時代の儒学者新井白石や本居宣長らから始まっ
て、現在に至るまで、ゆうに百年を超えて、多くの学者・
研究者が、心血を注いでその解明に努力されてきた。それ
にもかかわらず。邪馬台国はまだ解明されていません。し
かし、その研究に、まず敬意を表したいと思います。
ところで、日本には、正式な歴史書tpいわれる『古事記』
(七一二年成立)や『日本書紀』(七二〇年成立)がありま
す(これは神話であり事実ではないという立場もあること
はあります)しかし、そこには「邪馬台国」および「卑弥
呼」の文字は見えません。(ご存知のように、卑弥呼は邪馬
台国の女王です)。
当時の国政は盛んで、書き国の『魏志』に、 『邪馬台国』
も『卑弥呼』という表現もなされているにもかかわらず、
その本国のはずの倭国の歴史書の『古事記』『日本書紀』
(以下は、それぞ『記』・『紀』と表します)には、『倭人伝』
を引用しながらも、「倭の女王」(『紀』という表現以上に
は、詳細には踏み込んではいないのです。もっと深く、具
体的に、詳細に記述されていいはずなのに。不思議なこと
です。このことを前置きとして話を展開します。
邪馬台国とは、民様いがご存知のように、多くの日本人
が親しんだ、三世紀頃の『三国志』――あの有名な蜀国の
劉備玄徳、諸葛孔明、魏国の曹操や呉国の孫権らが、中国
狭しと活躍した時代――その時代の三国の一つ、魏国の歴
史書に登場する倭国の中の国名である。
この歴史書は、正確には『三国志』の『魏書』の『東夷
伝』の「倭人の条」という(以下、『倭人伝』と略称する)
歴史書『倭人伝』を編纂した方は陳寿といいます。魏・
呉・蜀を統一した西晋王朝(二六五〜三一六年)に仕え
た、歴史編纂官です(二三三年生〜二九七年没)。
(図・一章中扉下)
今までの研究成果の中には、陳寿は不注意で『倭人伝』
をまちがって記述したとか、ひどくは故意に嘘をついたと
か、その結果、だから文中(末盧国から「東南に陸行する
こと五百里で伊都国」とある)の東南を東北に訂正して
(図1)読むのが正しいとか。
あるいは甚だしいものには、魏のトリックだとか。『倭人
伝』そのものを偽にしてしまっているものもまでもあるの
です。邪馬台国の本を読まれた方の中には、こういう内容
を目にした方もおられるかと思います。
本当に、そうなのだろうか?そのようにまちがっている
のなら、陳寿は抗議されても仕方がないが、そうでないな
ら気の毒です。嘘をついたと濡れ衣を着せられたまま現在
に至っていることになります。邪馬台国は沈んだのかそう
でないのか? それでは、あるとすればどこなのか?これ
から、その謎解きを始めたい。

