卑弥呼と会津<1>
ここに、会津高校時代(昭和37年〜昭和39年)に同級生であたった、遠藤君の力作「驚天動地の古代会津史 邪馬台国は耶麻()郡だった」を紹介しておきたい。この本は、かつて彼が「歴史読本」という雑誌に投稿して取り上げられた際の論考をもとに上梓された書籍(2012年12月1日刊 88新書)である。
彼の「魏志倭人伝」(三国志 魏書 東夷伝 倭人条)についての、それまで誰も見たことも聞いたこともないような、その独創的な見解が貫かれている論説については、せめて東北の人々からの称賛の声が多数届いても良いほどのものなのに、地元を含めて期待したほどの反応を得ることは困難だったようだ。
当方は、2008年に「会津」という地名の由来を尋ねた際の思いを綴った書籍を上梓していたが、2011年3月11日の東北大震災の復興関連の動きに加え、風力発電施設建設への抗議活動に加わっていた時であったから、会津における歴史課題について彼とは、詳しく議論し合う機会を得ることがあまりなかった。
ただ、なぜか彼からこの書籍の元原稿を手渡されて戸惑ったことがあった。
一時預かりのつもりで、手元においてはいたのだが、その後互いに連絡を取り合うこともなく、早や10年余りが優に過ぎてしまっている。
そして、特にこの二年間というもの、地元のタウン誌に連載してきた記事に関しても、あっても良いはずの音信が皆無であったこともあり、このほど、自分と会津とにおける「戊辰」をテーマに、検討しなくてはならない課題が生じたので、その前に、彼の意向を勝手に想像して、ここに紹介しておこうと思った次第なのだ。
彼の書いた記事をもとに、「同郷のよしみ」かどうかは別にして、それなりの感想が生じた場合は、合わせて当方の感想を追記などしながら、紹介をして行こうと思っている。・ 北塩原村
・ 西会津町
・ 磐梯町
・猪苗代町
遠藤谷吉(たによし) と読む。表紙画像は会津大塚山古墳出土の「三角縁神獣鏡」
表紙カバー折面には
ここからはるか離れてあるという。
九州・近畿にあったという。
“邪馬台国は会津”などとは他人事と思っていた。
“自分の住む会津”がとは雲をつかむ話だった。
多くのマニアと同じようにこの私も・・・。
とある。
目 次
序 3
まえがき 9
第一章 邪馬台国の探し方(文献学的証明) 11
第二章 会津大塚山古墳が語るもの(考古学的証明) 81
第三章 更なる歴史的証明 113
第四章 その後の邪馬台国(真実の仮説)125
あとがき 183
「序文」は、会津短期大学部非常勤講師 学芸員 梁田直幸氏によるものだが、了解は得ていないので、割愛する。
9頁に「まえがき」とあり写真が掲載されているが、これは「混一疆理歴代国都図」
『ウィキペディア』よりとある。
本文 画像はモノクローム。
10頁には面白いことが書いてある。ここから彼の考察ははじまった。
〜一枚の古地図を見てしまった〜
ある日、会津若松市にある福島県立博物館で、目が釘付
けになってしまった!
「日本列島が、『九州地方が北で東北地方が南』になって
いる」中国製古地図の存在に。
邪馬台国の探し方は、根本的に変わる!(文字通り一八
○度変わる)
閃きだった もしかすると・・・・・・・・ひょっとす
る。
後は一直線・・・・・・会津図書館に向かった。遺跡
(れきし)も歩いた。
『魏志倭人伝』という時刻表を片手に、
中国古地図に跨って、時間旅行をしよう。 私達に、邪馬
台国をどこへ誘(いざな)ってくれるのか?
※ この上の地図は1402年明の建文2年(1402年)に李氏
朝 鮮で作成された世界最古の地図(龍谷大学蔵・龍谷
図)
※ 以下 「邪馬台国の会」より引用


