戊辰はるか<2>

 

 ずっとこればかりが続いてきたような、そんな不思議が起きてしまうのです。

 昨日になるのですが、「会津嶺」最終号ができたので、会津若松市秘書課とス文化スポーツ課に立寄りました。「大変なことを書いた」ので、ぜひ読んでおいて欲しいと。意外にも、疑われることはなく普通に信じてくれそうな反応に驚きました。

 そして文化スポーツ課では、いまN H K ・B Sで「八重の桜」が再放送されていると教えてもらいました。「昨日書き始めたばかりだぞ」と内心驚きました。

 午後6時からのそのドラマを見たら、<1>で触れた松平春嶽と孝明天皇とが出ていました。しかもあの緋羅紗(ひらしゃ)の「御衣(ぎょい)」の下賜場面と至れり尽せりでしたが、この場面の背景にある「日本の行末」あるいは「幕府の断末魔」には、ドラマ自身気づいていない様子でした。

 それと対照的であったのが 八重ならぬ「はるか」だった。彼女はまだ初デビュー当時の「天真爛漫さ」を残してくれていて、嬉しかった。

 ただ、ドラマに出てくる誰もが「八重」を「やえ」と呼んでいて、一人として「やい」と呼ぶものはいない。わざわざ言い慣れない「会津弁」を喋らされているというのに、それはない。

 「さすけねがー?」(大丈夫か?)ばかりが「会津弁」ではない、それこそ「なじょすんだ?」と内心放送局に聞きたくなっている「えーず」(会津)人がいる。「なじょすんべ」(どうしたら良いでしょうか)とでも「けーしてくんだべか?」(返答してくるんだろうか)が「関の山」なのかもしれない。

 

 会津人で困ったことがあった。それまでは一度も指摘されたことのない「方言」でした。それを「方言」と感じる人は、おそらくは関東より西の方に多いだろうし、「アクセント」の有無についてなのです。

    

     

       2025年09月01日 刊

 

 

 半世紀も前のことなのに、今でもよく覚えている。発声練習なのに、いつもピアノの音に合わせて歌わされる。よく音程の狂いを指摘された。音痴とまではなってはいなかったから、指摘されれば、修正もできたが、問題はそこではなく、まさに「アクセント」だった。

 ふとした会話のなかで<無アクセント>に気づいてくれて、何度も指摘を受けたことがある。おそらくはいまでも、無アクセントのまま発語していることは多いだろうと観念はしているつもり。

 一応縄文語についてはいまも気にしてきているつもりなので、それなりの文献等にはあたったてはきているものの、未だそれらしきものに出会えないでいる。

 初めてゲノムというか、遺伝学上での言語科学へのアプローチが始まったかと興味深々、読ませてもらったけれど、数年前に見つかったはずの「言語遺伝子」への言及は見つけることができなかった。

 いかにも古いデータが挙げられているだけだったけれども、まさに「無アクセント」は、ある意味で、「縄文語」に迫るための重要なそれこそ「アクセント」なのではないかと思われる。<わかってないなー>

 

   

 

   上記 「ヤポネシアの考古と言語」より

 

 

 つい、方言によって「戊辰」からは逸脱してしまったけれど、会津の侍が江戸や「」に行って、果たして意思が通じ合えたのか甚だ疑問にはなってこざるをえない。それほど、言葉による意思疎通は難しい。

 ある津軽出身で、会津の高校に赴任してきた教師に聞いたことがある。

 上京して大学に通い始めて二年間というもの、誰とも口をきけなかったと。

 確かにそうだと、理解はできた。同じ東北の会津だとは言っても、津軽弁を理解するにはひとかたならない苦労がいる。

 「言語理解」、参勤交代で江戸住まいを経験していても、言語の壁を難なく解消できてしまうほど、簡単なものではないと思えてくる。まして幕末は、西へ東への大騒ぎの時代である。刀を振り回しての、<言語道断・問答無用>に陥った「国語喪失」時代と言っていい。「幕府」も「朝廷」も、「国家」というものが手元になく、あるのは自らの国家観のない「攘夷」、世界に取っては<>こそ自身だというのに、「幕藩」という「連合」を国家と見誤り、未だ単なる民政組織の存在でしかないこと、それを憂いていたのが、200年前の「保科正之」だった。

 それを、彼は「家訓」に示したのだ。気づいていたのは、容保だけだったかもしれない。

 しかし、松平春嶽には、「蝦夷ゆえお江戸は遠すぎ、ましては論外、異国と変わりませぬ」と言うくらいの逃げ口上を、それこそ方言混じりで訴えれば、さすがに彼も納得できただろうと思える節がある。足りなかったのは、実にローカライゼーションそのことではなかったのか。

 同じテレビドラマの「豊臣兄弟!」とを見比べると、勝負の分かれ目はそこにあって、最初に勝つのはグローバリゼーションなのだが、最後に生き残れるのは常にローカライゼーションの方というのが、どうやら歴史の鉄則ではあるらしい。

 

 歴史を、そしてその中の自分史との関わりを確かめたいのならば、聞くべきはきっと「柿本人麻呂」になるのだろう。