D N Aで分かるまで。<48>

 

 長野県上伊那郡辰野町には 北大出・原という地名があって、なんだか気になってしまったから、東文研の伊那室長に尋ねたら、かつて彼の親戚はそこでパルプ工場を営んでいたと話してくれた。

 なので、昨日博物館に行ってきた。墨書土器の写真は撮らせてもらった。「秦人」と書かれていると説明パネルにはあったが、実際のところガラスごしで見ると「秦」の部分は、はっきりとは読めなかった。9世紀、上吉田遺跡とある。この辺りは「郡山郡衙」に関連する地域だから、「律令官」(いわば公務員)としての役割を与えられたグループを示す「墨書」なのであろうと思った。 そして、「秦人」を「渡来系氏族」と説明していたが、「秦人」は厳密には「氏族」ではない。「秦系」に過ぎない。これは、大和岩雄に詳しい。

 

    

    

 

    福島県立博物館にて

 

 とりあえず目的は達したので、「大塚山古墳」の展示室に入ってみた。そこで案内の人に尋ねてみた。「南棺」(大)と「北棺」(小)に埋葬されている人の違いについてだった。こちらはずっと以前からの思い込みで、「南棺」には男性がそして「北棺」には女性が眠っていると思い込んでいたのだが、どちらも男性で<親・子>がそれぞれ眠っているとの返事が返ってきた。

 

   

  文化遺産オンラインより 右・南棺  左・北棺

 

  

「北棺」には翡翠でできた「紡錘車」があって、それは女性専用の用具であることは自明のことだと思っていて、それが、「男」が持つはずはない「北棺」というのが、驚きの原因だった。しかも、このは<碧玉製>であり、その緑がかった色合いからは「翡翠製」であるように見える。全国の出土品と比べても、その精巧さは、他に類例を見ない。たまたま紛れ込んでいた、とでもいうつもりなのだろうか。女性内閣総理大臣が出現したというこの時代に、それはおかしい。

 

 一応調べてみたのだが、この古墳の発掘当初の見解では、これは<碧玉紡錘車>(「会津大塚山古墳の発掘 1964年」・文化財総覧・奈良文化財研究所― 全国他に類例無しー福島県のみ)として扱われており、その後1994年の県立博物館の図録(「会津大塚山古墳に時代」)編纂の際には「緑色凝灰岩」とされてしまっている。その根拠(硬度等)にあたるものは、未だ発見できてはいないが、決して明るいとは言えない館内の照明下で見る限りにおいてもあの鮮やかな「緑色」は翡翠の緑色にしか見えないのは、どうしてだろうか。そして翡翠に混ざる白色も同じように、凝灰岩の<白色>には思えない。

 

  

  文化遺産オンライン より

 

  またこれと比較して欲しいのは、国宝となっている前橋天神山古墳出土の「碧玉紡錘車」(東京国立博物館蔵)であり、なんの遜色もない。明らかにそれらを凌いでいると言えるほどの完成度と言える。