D N Aで分かるまで。<29>
昨年6月から、喜多方市にある慶徳稲荷神社の氏子の方から依頼を受けて、「会津嶺」というタウン誌に「世界複合遺産」という題をつけて、記事を書き綴ってきました。
出稿して間もない頃に、すっかり音信不通になっていた友人から電話が掛かってきました。電話番号も変わっていたのになぜか見つけ出されて、携帯電話に掛かって来たのです。あれから、すでに20年は過ぎてしまっていたので、突然の電話にとても驚きました。
近況を伝え合っていた際に、彼が神主を父に持つ人であったことから、神社の話になり、出来上がった雑誌を送ることになったのです。
以来、彼には毎月100部以上この冊子を送り続けるようになっています。意識したわけではなかったのですが、何故か7月号からは「保科正之」を取り上げることが多くなってしまっていました。
おそらくは長野県伊那市高遠町の「高遠歴史博物館」に興味を持って頂いたのも、この「保科正之」が縁で、今年4月の「保科正之生誕祭」の資料にと過去10カ
月分の記事を纏めたものが欲しいという要望が寄せられて、一冊の冊子に纏めました。
冊子を届けることになり、一泊の予定にて車で出かけました。「誕生祭」には 福島県立博物館の副館長も来ておられ、驚きました。
わざわざ高遠にまで出向いたのには狙いがあり、それはどうしても諏訪大社前宮の「十軒廊」を見ておきたいという思いです。思いは叶いました。
慶徳稲荷神社は、源義家が伏見稲荷大社から勧請した神社なのですが、実はこの「前九年の役」の際に、援軍として諏訪から「源為仲」を呼び寄せており、その為仲は、この諏訪大社前宮にいて「大祝」(現人神)でした。慶徳稲荷神社のすぐ近くに新宮熊野神社があり、そこに「長床」と呼ばれている拝殿があるのですが、その長床が実は「十軒廊」ではなかったのかという思いに囚われており、どうしても一度実物を見ておきたかったのです。
長年会津に住んでいながらも、「保科」という人物に興味を抱いたことは、全くと言っていいほどなかったと思います。ただ一度だけ、福島県立図書館で調べものをしていたときに、「保科」は、元々は「神家」で、「悪い星を射落とした」のでその名になったと書かれたものを読んだのが、とても印象深かったことを覚えています。
「会津嶺」のお陰で、いまはすっかり馴染んでしまっています。彼が「お稲荷様」を大切にされていとことは、おそらくはあまり知られてはいないのではないでしょうか。彼の江戸屋敷には「お稲荷様」が大切に祀られてあったそうです。
「柿本稲荷五社大明神」の「五社」は、明治の初期の神社明細帳に記載された飯豊山山頂の図を見られれば明らかですが、「五王子」の「宮社」が描かれていますので、これを参照すればいいのではないでしょうか。この図を元に、それぞれの位置を強調したものを挙げておきます。
私はこれを星々の位置に倣って配置したようにしか思えません。
「稲荷」も「五社」もどちらも星々という天体を表す言葉です。もちろん「保科」も同様です。
先日、講演会を開いてみて分かったことが一つあります。それは先の「土版」に描かれた模様を、多くの人が「天体図」であることに同意してくれないことでした。この1ヶ月間の悩みと言えば、まさにそのことで、「どうして」という疑問がずっと脳裏から離れることはなかったのです。
そこで、反対に多くの人が思っているであろう「太陽の輝き」であるとしたら、その「陽」の光は、一体どのように見えるのか教えて下さいという問いを投げかけてみようと思います。太陽の光は「渦」のようになっているのでしょうか、輝きを水面に写して見てもそれは輝く白い「円」でしかありません。
どうして「渦」というイメージが浮かんでくるのか、その理由もまたわかりません。渦と言うと、どうしても水や風と関連付けられ、軌跡というよりもその螺旋運動の方に注意が向けられるからでしょうが、太陽の光を凹レンズを通して一点に集めるにしても、その光が渦巻条に見えることはまずあり得ません。
福島原発の20キロ圏内にある清戸迫横穴古墳に描かれている壁画の「渦巻模様」に関して、発見されてからこれまで誰もこの模様について言及してはいないのです。
昭和60年、つまり1985年に「東洋文化財研究所」は発足しています。1980年に会津若松市で発足した財団法人広域社会福祉会という福祉サービスを行っていた財団の付属機関として、郡山市でその産声を上げました。調査員の多くが、昭和58年に設立された郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団の職員達でした。行政発掘調査より国外にも目を向けた事業を行いたいという夢を持っての開設だったのですが、東北で初めての「和同開珎」の発見をしてしまったことで、福島県の文化課から攻撃されることになり、翌年には開店休業を余儀なくされてしまいました。 福島民報という新聞社の裏切りもありました。財団そのものの事業停止寸前まで追い込まれました。ヤクザには、歯には歯で抵抗も可能でしょうが、このなんとも言えない地方公共団体というか「公共」に値しない「痴呆」集団は、市民を殺して、犯罪者にもならずに、その生き血でのうのうと生き続けています。
公務員の始末に追えないあの「自己正当化」と「滅私奉公」ならぬ「滅市(市民)報公(公務員)」という犯罪は、今も続いています。どこに行っても変わりません。最近の裁判所もその例に洩れません。公務員は、どんなに末端でも「官僚意識」を持つものなのでしょうか、マックスウェバーに聞くしかありません。
2011年の東日本大震災では、「福島県」はあの津波によって流されて欲しかったと今でも思っています。
と言いながら、「図版」をお見せします。東洋文化財研究所が発足した翌年に出土した「卑弥呼の鏡」です。迫力は相当なものです。
裏面はあえてお見せ致しません。これが国宝に指定された時にお見せしたいと思うのです。とは言っても報告書にはしっかり掲載されています。
なぜか、所在不明中であったこの「土版」が見つかったのは、夜空の訪問者 3I/ATRASがチリやハワイの天文台の望遠鏡に初めて捉えられた頃でした。
身の周りが忙しくなったのもこの頃です。
今年は、りまりま さんや 紫姫さんに我が著書を発見して頂いたことと軌を一にした年であったような、ずっと星々との縁を切らずに過ごし切れた一年になったような思いをしていますが、そこに、あの謎の彗星が出現してしまったのです。
よく見ているYouTube動画があります。アストロアトラスで「ミチオ カク」という天体物理学者が語っています。アヴィ ローブという天文学者の動画も参考にしています。
十八歳の頃、たまたま朝日新聞の「天声人語」というコラムで見つけた「隻手音声」という禅の公案が分からなくて教えを乞いに、とある先生の所に行ったことがあります。「真空管」を例に出されました。「真空管は本当に『真空』かね?」と。「はい」と返事をしましたが、「電子が飛び交っているだろう」と言われました。仏教で言うところの「空」の概念を、現代物理学で言う「相対性」で説明してくれたことを、よっぽど後になって知りました。
先生は、土佐の後藤象二郎に見出されて、当時の一高に入学させられ、そこではまだ教師を務めていた夏目漱石に英語を学び、後にケンブリッジとオックスフォードで学ばれた、物理学者でした。あまり知られてはいませんが、この国の送電網を作り上げられた人です。一切の栄誉なるものを決して受け取らなかった人です。
「線香をあげたい人が二人いる、それはカントと道元だ」と言う言葉を今も覚えています。
この3I/ATRASに関するニュースを見るにつけ、なぜかこの先生を思い出してしまいます。
<12月19日までは、気が落ち着かないのかも、ごめんなさい>

