D N Aで分かるまで。<28>
あっという間の1ヶ月間でした。ずっとこのブログに戻ることができずにいました。11月2日の講演会の日の前の2週間ほどずっと気になっていた3I/ATRAS がその理由ですが、11月4日に喜多方市山都町の公民館で15年ぶりに再会した「卑弥呼の鏡」が重なってしまっていました。
はじめ、喜多方市役所の文化課で再会の予定であり、N H Kの記者と待ち合わせ一緒に取材をさせていただくことになっていて、時間通りにお邪魔したのです。
事件は起きました。担当者の方が部署にあるロッカーを開けて少し大きめのタッパーウエアーをカウンターまで運んできてくれ、恐る恐る蓋を開けたところ、なんと中身が消えていたのです。一番驚いたのは担当者の方でした。こちらも愕然としましたが、喜多方市はいつものことで、日常的とも言える出来事です。担当者の方が慌てて、電話を掛けまくり、ようやく所在が判明して、山都町に誰かが断りもなく持ち出した後でした。仕方なく、N H Kさんはタクシーで、私どもはマイカーで山都町まで参り、再会を果たすことができました。
無断で持ち出した犯人は特定することができています。福島県民俗学会会長の小澤弘道という人です。丁度15年前に彼がまだ山都町の職員であったころこの「土版」を市の許可を得て撮影させていただいた際、立ち会った人であり、その彼が、撮影にあまり気乗りがしないでいる様子に、少し不安を覚えていました。彼なりの特別な価値を見出していて、いつか私蔵してしまいそうなそんな不穏な想像までしていたのです。
公民館のショーケースと言ったらいいのか、極めて安直な、心配でならないくらいに無防備な状態で展示棚に飾られてありました。まだ、市役所のロッカーに置かれていた方がいいのにと思えて、写真も取らずに帰ってきました。
この「土版」というか「土鏡」のために講演会まで開いて、その価値を多くの人に知って欲しいと願った身にもなって見ろと言いたくなりました。
N H Kさんは、こちらが教えたこの「土版」に対しての評価を与えた調査員の方や国立天文台の方への取材はされたと思うのですが、残念ながら期待したコメントは得られなかったようで、困惑しているようでした。最初に「この土版が、夜空を描いたものであることを、言明できる方はいませんよ。そのためのに天文学者をわざわざ招いて科学的に証明するための講演会でした。」と伝えてはおいたのですが、結果はその通りになったと思われます。
この「土版」が「土鏡」であり、土に「星空」を描いた、後の「銅鏡」などとモチーフが同じものだということを、なぜ考古学者も民俗学者も言及しないのだろうという、疑問ばかりが先に立ってしまいます。
例えば、会津大塚山の「三角縁神獣鏡」より古い「内行花文鏡」との共通点は何かと尋ねて答えてくれる人は、現在のところ皆無です。抽象性の高い図柄が描かれた後者の方がどうして、具象的な神獣鏡より古いのか、その説明ができないからでしょう。
その共通項が「伏羲と女媧」であることが未だ見出せないでいるから、と思われます。「定規とコンパス」の図柄が「内行花文鏡」であり、「三角縁神獣鏡」が「伏羲と女媧」と言ったら分かってもらえるでしょうか。中国の新疆で出土した「伏羲女媧図版」には、しっかりと星座まで描かれています。
新疆で出土した女媧伏羲図。女媧がコンパスを持ち伏羲は角尺を持つ
ーフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 よりー
7世紀末から8世紀初頭に築かれたキトラ古墳の玄室に描かれた四神、十二支、天文図、日月四神は、我が国では最古の天文図でしたが、今年になって、吉野ヶ里遺跡にある石棺墓に天文図が描かれていたことが判明しました。しかもこの天文図には、400年に一回しかない珍しい天文現象が「線刻画」で描かれており、それは214年(ユリウス暦)だったと、調査を行った考古天文学者が指摘していました。ちなみに、2015年に国立天文台紀要には、キトラ古墳壁画の天文図は300年のものという研究報告が掲載されていました。
そのほぼ50年年前、248年9月5日には、飯豊山の上で「日食」という天文現象が起きていたことはあまり知られてはおりません。これを発表されたのは「斉藤国治」という我が国で初めて「古天文学」を提唱された人物です。
近年国の方針で「考古天文学」の研究者への予算配分があり、「古天文学」は「国立天文台」からは姿を消しました。残念です。三鷹天文台(国立天文台)の前身は「東京天文台」で、彼はまたそこで活躍されていた研究者でもあった方です。この日食は、九州地方での者のではなく、東北地方のものであることに注意をして欲しいのです。
日食と卑弥呼の関係はとても深くて、日食があったためにその死を早めたと言われています。
内戦の続く国内の騒乱現象を鎮めたのが、「卑弥呼」であり彼女の「鬼道」であり、さらに
その鬼道こそが、天文を読み解く「道理」であったとしたら、彼女は、はるか昔に「3I/ATRAS」が訪れることを知っていたのかもしれません。
