D N Aで分かるまで。<23>
少しの違いなのですが。
丁度1年前に、会津若松市にある「蚕養国(こがいくに)神社のことを調べていました。伏見稲荷大社などより、ずっと古い歴史を持っているような印象を持ちました。
神社の名前にあるように「お蚕様」を祀る神社です。「国」の名がつく神社はとても珍しいとは思うのです。その際初めて、常陸国の「金色姫」伝説のことを知りました。その伝説は、古くは諸説あって、紀元前3世紀や紀元5世紀に起こったなどとされているのですが、なぜかこのお姫様は「天竺」から船に閉じ込められ漂着したとされています。助けられたもののすぐに亡くなって、「繭」になったという伝説です。
昔、韓国の金海(きめ)市にある「首露王陵」を訪ねたことがあって、その時はまだ日本人が珍しかったのか、資料館に招き入れられ、韓国の「建国」の歴史の説明を受けたのですが(日本語の話せる方でした) 、首露王の后として挙げられたのが、インドからやってきた「許黄玉」王妃であるとの話で、少し驚きました。「海」を連想せざるを得なかったからです。
この記憶があったために、「金色姫」の場合は、日本海ルートではなく太平洋ルートに乗ってしまって、常陸まで流されたのではという思いを持ったのです。
それまでは、陸地のルートだけを見つめてきたように思います。「海」の道は、船旅の経験のない者にとっては、イメージすることの困難な「道」なのかもしれません。「渇仰」の領域です。
その「渇仰」の止むことのない者には、「船形埴輪」がイメージしている大きさが気になってしまいます。
古墳の埴輪はまさしく「イメージ」に他なりません。報告書などから受けるイメージは、こうして考えると、あまりに小さくて、「海辺」ならまだしも、とても「海洋」を相手にはできそうもありません。
だから、紫姫君の挙げて下さった「牛頭柱」(The Head of Bull )のサイズ感は、抱いていた<船>のイメージにピッタリ符号してくれました。
確かに、海に囲まれている日本列島に棲む住人にしては、「海」を苦手とするひとばかりで、「空」を見、「海」を見つめる人は少ないように思います。もちろん私もその一人。
しかし、古代の旅人達は、「陸」も同じように見つめていたようにも思えてきます。「その先にあるもの」、それは海も陸も同じく夜空の「星々」であったことは間違いないでしょう。
ペルセポリス」は、いわば「陸」と「海」との分岐点であるような面持ちで語りかけてくれました。この先にある、「東の国」への道を選ぶのはお前達自身だと。
この蚕養国神社には、「稲荷五社神社」があります。もともとは、保科正之が、江戸の屋敷にて祭っていた神社だそうです。
そしてここには「柿本人麻呂」もいたのです。宮司さんに尋ねましたが、もういませんでした。御神体は「金色姫」なのでしょうが、もしかしたら「稲荷五社」に? とも思えてくるのです。というのも不思議なことに、ここ稲荷社には「白狐」が一匹も見当たらなかったからなのですが。
この柿本人麻呂像は、新編会津風土記によると、<頓阿作と云う>としていて、それは、白河市の<鹿嶋神社>にあったものと同じもののようです。現在は市が管理されています。
曽祖父が戦後(戊辰の役)、身を寄せたのが「常盤屋」と云う大店(おおだな)でしたので、とても気がかりではあるのです。
木造柿本人麻呂像(伝)頓阿作 (白河市)
と、少し舵を戻しかけていたときに、届いたのが「紫姫君」の「珍敷塚古墳と船形埴輪」(カオスな考察)でした。
先のブログでは、私は「会津大塚山」古墳のことに触れていました。
この古墳の出土遺物に「徒靫(かちゆき )」があるのだけれども、「三角縁神獣鏡」にばかり関心が寄せられて、それはほとんど看過されていることが納得できず、老婆心ながら、調べてみたくなったのです。
「鴨都波1号墳」も「雪野山古墳」も、目的は「靫」にありました。少しばかりはしょった言い方になりますが、
「神倭伊波礼毘古命」(神武天皇)は、日向の人。その彼が、「長髄彦」に問うのです。「お前は<靫>を持っているのか?」と。「靫」は「靫」でも、会津のそれはより古さを留めています。
大塚山古墳のそれには「直弧文」が施されていますが、これらの靫にはありませんでした。蕨手紋と直弧文、さらには隼人の「楯」の模様につながるのかもしれません。そしてさらには、「雪野山」は「<靫>之山」、なんて言い出したくなるので、、、、、この辺で。
これまでのどの文献より、紫姫君の指摘が「的」を射抜いているように思いました。挙げられていたのが、装飾古墳の壁画ですから尚更です。
「船形埴輪と古代の喪葬・宝塚1号墳」では、「船形埴輪」の進路方向を反対方向に捉えていました。これを明らかにしてくれていました。この本は、「隋書」が描いている「舟」を使った葬送儀礼、それを現在も行われている二木島祭(三重県尾鷲市)に重ねて述べていました。
「カラス」も「鳥」も、そしてひょっとしたら「カモ」も、船の行手を示す「コンパス」なのでは? 大塚山古墳群の一つ「堂ケ作山古墳」(前期古墳)からも「鳥」と思しき埴輪(?)の一部が出土していました。
※ 先に挙げた「船形埴輪」と、今度挙げた埴輪には、特に1箇所「ポール」の
形状が異なっているように見えます。

