D N Aで分かるまで。<21>
昨年国宝に指定された「船形埴輪」です。ずいぶん前に見学したことのある松坂市文化財センターにありました。
先日ほかの画像を探しているときに、この画像を開いた覚えはあったのですが、まだ見つけられないので、松坂市文化財センターのH Pの写真を借りることにしました。
船形埴輪
まったく根拠はないのです、しかし、この「船舶」のマストのようなものは何なんだろうと思いながらも、船の行手を示してくれる星見台なのではと密かに考えてはいたのでした。「徐福」の乗ってきた船などと、想像したりしていたのです。
そしたら、目の前の画像に釘付けになりました。その画像のコメントが、
紀元前500年。
ペルセポリスの冬至の真夜中、
シリウスは真南から20度東に傾いた方向に煌々と輝いた。
この方向に向かって新年を告げるシリウスを遙拝すると、
遙拝する者の真後ろは真北から20度西に傾くことになる。
これは聖徳太子が斑鳩から飛鳥へと通った道が、
北から20度ほど傾いていたことと関連があるはずである。
※ペルセポリスはアケメネス朝ペルシアの首都。
(不思議の宮裏通りー「日本人の血の秘密」)より
とありました。この画像とともに。
ペルセポリス (拝借画像)
この画像にある柱は、広大な宮殿の柱で100本以上あったと云われてはいるのですが、先に<船舶>のイメージがぴったりと焼き付いてしまい、一ミリたりとも動こうとしません。ペルセポリス との関係はまだ不明ですが、この<船舶>の<船籍>は「弓月国」ではと、勝手に想像を膨らませています。時代も地理も無視していますが、<星>だけのただ一点を、手放そうはとしていません。
幕末のペリー来航より、凄まじい影響力を持って訪れた「旅団」であったのでは? と妄想はたくましくなるばかり。
日本人のDNAにも変化をもたらしたほどの影響力だから、それは余るほどの「親和力」を帯びたものだったと言えるかもしれません。
「弓月国」は、天山山脈の北側 バルハシ湖近くのシルクロードの通る国。
ニーチェの「ツァラトゥストラ」は良く知られていた言葉だけど、それを「ゾロアスター」と言ってみせる人は、松本清張の新聞小説(朝日新聞・「火の回路」)が連載されるまではほとんどいなかったと思います。韓国や中国で終わっていたこの国の「歴史」の壁、あるいは扉を突き抜けてみせた小説でした。
その扉の向こう側に「カモ」はいるのでしょうか?
「葛城」と「賀茂」と「鴨山」と「人麻呂」と。
その扉の向こう側の空と大地に果敢に挑んで下さっている紫姫君(しき・ぎみ)。
「鴨山考」から「葵考」まで、とても示唆に富んでいて扉を開けるたびに驚かされ、“励まされ”ています。
確か飯豊山神社の二之王子の名前が『味鋤高彦根命』だった。一之王子の名は『御井神』と神社明細帳には記載がありましたが、まさか<「カモ」族の始祖が『味鋤高彦根命』>とは、やっと木花咲耶姫が分かったばかりなのに、更なる難問が待ち伏せていました。
20代。も後半になってスーツを着用する機会が増え、ブルーの故郷「ターコイズブルー」を教わってからは、もっぱら「ブルー」を愛用したけれど、アースカラーの代表格ならぬ別格「藍」に出会ってからは、ラピスラズリに傾倒した記憶があります。
人に何かをしてあげて、お礼にと頂いたコニャックは「コルドンブルー」で、抜き差しならなくなってしまったけれど、待てよ、よくよく考えてみれば、小学高学年の頃に、祖母の手作りの「野葡萄ジュース」を持たされ遠足に行ったことを思い出しました。中学1年の時、それを同級生にふるまい、後で母が学校に呼び出されたことがありましたっけ。「ぶどう酒」と間違えられたのです。少し発酵していたみたいです。
この「血」には間違いなく、砂漠の青、「インディゴ」が入っていているのだと思います。
その「血」のなせる技かどうかは別にして、「石見の鴨」からまさに「奈良の鴨」まで引き戻して頂いた紫姫君(しきぎみ)の「鴨山考」には感謝しきりなのです。まして、今回の「葵考」は、西福寺の棟飾りの三つ葉葵にも通じ、嬉しくなりました。

