D N Aで分かるまで。<20>

 

  やはり今年も会津祭りには行かなかった。

 直近の思い出があるので、書き留めておきたい。

 

 3月になり、伊那市にある東文研分室長の宮原君から、高遠歴史博物館が「会津嶺」の昨年6月号から4月号までの投稿記事を30部ほど欲しいとの要請があったとの連絡を受けた。コピーが大変との思いで、冊子にまとめた。あれほどしっかり校正をしたのに、大事な箇所が抜けていた。写真撮影と掲載を許可してくれた「磐梯山噴火記念館」の脱字だった。ただ一般公開されていたジオラマで、撮影禁止でもなかったので許可がなくてもそれは提示する予定でいた。それが原因かどうかは知らないけれども、出版社の担当者は辞職して新会社に就職した。どうやら退職金の一部を、印刷代と相殺したようだった(?)。

 

            伊那市 小野神社  なぜ沢瀉紋 (おもだかもん)

 

 もう一つ、「西郷頼母」の件がある。あの藩公行列の頼母役は現在「今野敏」という作家で、ブログを見たら頼母姿の写真があったので、それを載せようと思い、挨拶程度の思いで「会津祭り協会」に行ったら、集英社に連絡して、作家本人の確認もなしに「ダメ」出しをされた。これは集英社の判断だが、しかし、「早乙女貢」の思いも、それを受けての「高橋千劔破」の思いも、会津若松市にも出版社にも伝わってはいない。日本ペンクラブも泣いている。

 昨年、市は、あの「会津志魂」(士魂)というとんでもない、二人からの、物心合わせた遺産(金員と精神)を市は受け取っていながら、「はるか」に頼んで、彼らの墓前で手を合わせてもらうことぐらいのこともできなかった。「商魂」だけを受けつぐつもりなのだろうか。「物見商い」(観光商人)ばかりが闊歩する町になった。

     

              早乙女貢絵画展 会津若松市

 

    

 県立博物館にまで「商魂」の移植手術をしようとしている。「会津地域文化藝術フォーラム」という。県社協の代表理事で、元県職の天下りが代表を務めている聞いたことのない団体だった。憲法を無視しての、生活困窮者への支援給付ではなく「貸付」サービスをもっぱらにしている社協。もう公務員の老後保護施設と変貌した。犯罪そのもの。その高野という代表を筆頭にフォーラム役員の名を挙げると、

   佐久間源一郎(建設業3名) 佐藤富次郎(製麺屋) 佐藤彌右衛門(酒屋) 澁川惠男(旅館業)  新城希子(酒屋)  山中宏行(不明) 渡部文一(酒屋)で、酒屋が3名、会津若松市2名、喜多方市3名 三島町1名 南会津町1名となっている。顧問が赤坂憲雄(元県博館長)と北村清士(銀行業)。

 

  どこにも文化や芸術を専門にする団体は入っていない。東日本大震災以降に復興活動と称して太陽光発電を東邦銀行からの融資で始めた「大和川酒造」。その後水力発電まで手を出さざるをせ得なくなった者たちが、単なる美名をでっちあげての「交付金」稼ぎに、「県教育庁」を巻き込んだに過ぎないことがわかる。流石にようやく訂正はされたようだが、つい2、3日前までは、このフォーラムのH Pは県博との提携記事が載っていて、その見出しタイトルがゴッシックで、「会津地域文化藝術フォーラムと福島権利博物館会津地域における文化芸術による地域振興連携協定』を締結」となっていた。

 3月にはアップされていた記事だ。すでに半年は過ぎている。役員、役人、関係者は誰一人として見ていなかったことになる。「これは利権団体に過ぎない」と県博の主管課である社会教育課には伝えた。

 この県博の収蔵物(文化財)、つまりこの利権集団が思うような「金めのもの」は、その数千倍数万倍の価値あるものが県博には眠っている。元館長はじめ、彼らにその価値は分からない。べらぼうめ!、吉原旦那衆と変わらねえ!

 

いま、もっとも博物館に必要なのは、その価値を世界に訴えることのできる学芸員であり専門員だ。

 

 これを画策した者は三島町にいて、またも引きずり出されたのが「大和川」ということになる。赤坂憲雄から始まっていた。いまだに利益誘導のアイコン役をさせられている。三島町出身の元県教育委員長もいて、始末が悪い。まだ引きずっている。これが彼らの「保身芸術」であり「チホウ文化」というほかない。

 「器移植」は成功するのだろうか。いまや太陽光発電は、中国の<世界収奪>マシーンであることは世界中に「バレ」てしまっている。

 いまほど「保科正之」や「松平定信」が求められている時はない。

 

  というわけで

「小原庄助 中将賜盃之一幕」を高遠にまで届けたのが、4月27日で、29日には「保科正之生誕祭」があるとのことであり、一泊予定を二泊にして「十軒廊」を見て帰ることにしました。

 

       

               諏訪大社前宮から八ヶ岳を望む

 

  5月から今日までは、 福島民報、信濃毎日、長野日報、全国商工新聞、朝日新聞等に大きく掲載され対応に追われていました。合わせれば100万部以上にはなるでしょうが、読者のほとんどは、次を待っているような感想ばかりで冊子に仕掛けた「謎」を解いた、とのメッセージはまだ届いてこないので、感嘆符をつける訳にはいかないのがちょっぴり残念です。

 

 そしてようやく、運転免許更新日にあと3日になって神田の免許センターに行くことができた。丁度そのとき、出がけに届いたのが「鴨都波1号墳」の調査概報でした。

 

    

 

   

 誕生日を過ぎて、更新日の前日に更新したのは初めてでしたが、業務開始前に、すでに30人ほど並んでいて期待は裏切られたのですが、なんと「高齢者」枠が設けられていて、3、40分で新たな免許証が交付されました。

 

  

 ようやく概報に目を通すことができました。木棺の左脇に三枚の三角縁神獣鏡がありその上に「靫」と「革綴短鎧」があります。

 この1号墳」の周りには墳丘のない木棺墓が6つほどあり、木材の年代測定では、西暦236年から西暦288年という結果が導き出されたそうです。それよりは新しいというのがこの1号墳ということになります。

 

 面白いことに気づいたのですが、この表紙写真の木棺が岡山県吉備地方の遺跡群で出土している「特殊器台」と呼ばれる「円筒埴輪」を模していると思えることであり、また逆もあり得るとも。

 この博物館には、国の重要文化財として三角形の穴が多数開けられ、台部分に「直弧文」の模様の入った「特殊器台」が収蔵されています。

       岡山県立博物館 「特殊器台」 国 重要文化財

 

    

 

                    直弧文1

    

 

           

                直弧文2

 

  

 

 

 様々な説明がなされてはいるのですが、まだ納得には時間がかりそうです。

 

 一応、雪野山古墳(滋賀県近江八幡市)出土の「靫」を見ておこうと資料を求めておきましたが、時間はかかりそうで、手元に届き次第感想を述べてみたいと思っています。少しでも人麻呂に近づくために。