もう何十年も前のことなので、初めて韓国を訪れ、案内された寺院がどこでなんという名前だったか、思い出せないのですが、慶州市のある寺院であったと思います。そこで「聖徳太子」と書かれた碑を発見したのですが、案内の人に聞いても反応はありません。「亡くなった王族(両班)の息子の意味で、固有名詞ではなく「普通名詞」であると言われて大変驚いたことだけは、よく覚えています。そして、ソウル市の中心街にある大きな書店では、未だ漢字まじりのハングル本が普通に置いてありました。今では、とは云っても10年ほど前になりますが久しぶりに訪韓した時には、「漢字」は全くというほど見られなくなっていました。

 先の<DNA9>では、柿本一族のことが「大陸から朝鮮半島経由」で来たと引用しましたが、「大陸」について、少し触れてみたいのです。

 これは日本の聖徳太子が沢山の善知識を学んだ人が「王仁(わに)」博士という人物であり、漢字を日本に伝えた百済の人と伝えられています。しかし、聖徳太子以前に仏教が同じ百済から伝えられたとされているので、漢字というより「千字文」を伝えたというのが正しいと思います。

 この「千字文」は、南朝・梁(りょう)の武帝(蕭衍・しょうえん)が作らせたものですが、この武帝は皇帝菩薩と揶揄されたほどに仏教に傾倒して国を失い、次の陳に。彼は、禅宗の祖である「達磨」とも会っています。

 教科書では、日本への仏教伝来は百済から欽明天皇13年(AD552)にもたらされたとなっていますが、厳密な意味での仏教伝来は「僧侶」が伝えてこそ、初めて「仏教伝来」と言えるので、会津(会津坂下町 高寺)への仏教伝来が、日本最初の仏教伝来というべきだろうと思います。欽明元年とされているので540年となります。恵隆寺縁起などには「梁国僧 青岩(巌)」とあります。

    

  

 

                   能登半島 鰐崎海岸 珠洲神社

  

  ただこの「わに」について、インターネット検索で渉猟していた時、京都の「ハウス・ホールディングス」という会社が提供している「古代史の研究」という記事を見つけ、そこには、「ワニ」と名の付く地名が日本の白地図上に30箇所示されており、能登半島の石川県珠洲市<崎>(鰐崎海岸>と新潟県長岡市寺泊<口>があり驚きました。

 Google Earthで調べると、<鰐崎>はしっかり北緯37度30分の位置で、日本海を睨む岬にあります。寺泊の<鰐口>は、北緯37度37分ですが、そこには諏訪神社(鰐口神社、猿田彦神社)がありました。石川県の珠洲神社に繋がる北緯37度30分の神社は新潟県長岡市出雲町の三島神社です。ここから福島県内の7カ所にモニュメントを残しながら、太平洋を渡り、、、、、、、、 サンフランシスコを通過しアメリカ大陸を横断します。

 

  

               能登半島 鰐崎海岸―出雲崎・三島神社―本名御神楽岳→→→→

 

 私のもうすぐ20年になる「会津」と「柿本」探しの旅は、北緯37度30分から始まっと言っても過言ではありません。

 そして漠然とですが、「柿本稲荷五社大明神」につながり出したように思います。