投稿して見てみたら、記事が反映されていない。平身低頭、ごめんなさい。
紫姫さんの指摘で、りまりま さんの「青麻神社」の記事を読ませてもらった。
驚いたのなんの、そこには七支刀があった。それで、一気に謎が解け出した。
ずいぶん以前に、こんなことを書いていた。
”会津藩士向井吉重による、『会津四家合考(あいずしけがっこう)』があり、
豊臣秀吉の差配に関して、秋田安東太郎實季の先祖に関連して、胆駒山の戦い
の顛末が記載されていて、ここに、長髄彦の兄がいて、負けた戦いではあった
ものの、兄の方は命をとられることなく青森、十三湊(とさみなと)にまで逃
れたとある。その兄の名前が、安日(あび)とあって、『記紀』とは異なる展
開を見せる。安倍(あるいは阿部)の始祖、安日伝説である。”と。
そしてもう一つ、”会津旧事雑考」(一六七二年・向井吉重)では、その巻
頭より、会津の開闢(かいびゃく)を飾るように、神武天皇の胆駒山での争奪
戦が引かれ、敗戦により落ちのびた安日が、会津郡尾山邑(おやまむら・会津
高田町・現美里町)まできたとあり、葬られた古墳、蝦夷(えぞ)塚があると
しているのである。この塚の周囲は、石板がめぐらされているとある。近くで
は、鉄製の破片等が出土する”とも書いていた。
もう20年近く謎だった。
そして石上神宮神宮の「七支刀」、さらに「青麻神社」の「七支刀」。
これを私は「十種神宝」ならぬ「十種剣」(とくさのつるぎ)と呼ぶことに
した。
これで、安日も、饒速日も、物部も見えてくる。古事記のレガリア(ご神宝)
を見せ合うシーンも分かってくる。
ありがとう、紫姫さん、そしてりまりま さん。もう一度、ありがとう。