紫姫さんのブログに「スターゲート」が出てきたので、後追いではないが、和式ゲートである「茅の輪」をくぐってみようと思う。

 

磐長姫異譚

 

 一度だけ体験した記憶がある。それは会津美里町にある「伊佐須美神社」の茅の輪(ちのわ)だった。まだ社殿が焼け落ちる前のことだ。当時の宮司さんからは、不思議なこの神社の宮司の身に起こるジンクスを聞かされたことがある。それはこの神社の御神体と言っていい「御神楽岳(みかぐらだけ)」にまつわるジンクスで、なぜか宮司がその山に登るとその後必ず移動になるという伝承だ。前の宮司さんもそうだったようだ。

 

 御神楽岳は古事記に、「会津」地名の命名由来が記されていて、四道将軍の親子(大彦と建沼河別)がこの山で出会い祭事を催したので、会津(相津)となったと書かれている。

 会津は、博士山明神そして御神楽岳(1386.5mの順に開かれてきたという伝承を、管玉(くだたま)加工地で知られる金山町の郷土史家に聞かされていたので、そこに突然開拓者(もののふ)が現れる記事を、素直に信じることはできなかった。

 この御神楽岳は双頭峯の山で、本名御神楽(1,266mと対(つい)なのだが、<本名(ほんな)>は、アイヌの言葉では<ホンナイ>=「小さい」を意味するので小御神楽岳なのだろうまた、開拓順序は、会津盆地に立って、夜が開けるのを待つだけでその真実は見えてくる。朝日射す山の順番を言っているに過ぎない(宮田秀晴伝)。「」が拓いたのではない、「太陽」が拓いたのだ。

 

 「天岩戸」の真髄はここ御神楽岳にあると言ってみたくなる。「」(夜)と「太陽」(昼)が入れ替わる神々の神事(神楽)がこの山の頂きで催されてきたのだ。

 

 伊弉諾伊弉冊、そして伊佐須美、これを因数(言語)分解する。<いさ・なぎ>、<いさ・なみ>、<いさ・すみ>となる。イコール<いさ>×<なぎ・なみ・すみ>=a(b .c .d)となるけれども、aの<いさ>はさらに<・i>と<・s>に分解することができる。また、bc<なぎ・なみ>は海水面の状態で<(なぎ)>と波立つ<(なみ)>とに分解できる。そして<すみ>は定点「(すみ)」であれば、もうお分かりであろう。i=north  s=southとなる。八角神社は「ヤスミ」神社で、諾冊二尊をお祀りする、四方を八方にした名称の神社である。伊佐須美神社と祭神は同じである。方位神社そのものなのだ。

 

 さらに、とんでもないことをスターゲートは教えてくれた。「喜界島」だ。喜界島に伝えられる「木花之佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)は太陽であり、月は石長比賣(いわながひめ)」という伝承である(紫姫伝)。こちらの「月」を因数(言語)分解すると「い・・な・が」となる。<>が<南>であるのなら<>は<東・西>ということではないのだろうか。注連縄(しめなわ)を想起して欲しい。

 

 そんな名称のが会津にはある。「い」・「な・わ」・「しろ」(※)、猪苗代湖である。しかも湖水の北緯37度30分ジャストの東西湖岸には、須佐男命と天照神(栄光の女神)がいまも手を取り合ったまま離そうとしないでいる。東西南北がこの湖水の真ん中で交差する(北緯37度30分 東経140度04分)。「会津」が越=腰=古志=古四=星国の起点であることの証明(方程式)と言っていい。<コシ>=<ホシ>だ。あるいはこの東西南北が交差するただ<一点>の空間に「スターゲート」は出現するのかも知れない。本当は、西に此花咲耶姫像、東に磐長姫像が似つかわしいと思うのだが。

 

 ずばり「磐長」とは、この国の<御神楽岳>のような大小の頂きを持つ山々を指しているのではないのか、との思いに至るのだ。富士山に対する八ヶ岳と言ってもいい。

 

 京の上賀茂神社には「立砂(たてずな)」という砂山を富士山の形の様に盛る神事が残されている。そしてこの砂山は、ツイン・ピークスなのだ。この立砂まで姉妹の姫君に見立てるつもりはないけれど、伊佐須美神社にもこの神事が残されている。おぼろげな記憶では、「おのころ」神事も行われていたはず。そして驚くことに上賀茂・下鴨神社と同様に上・下伊佐須美神社があったとしたらどうだろう、即刻「世界遺産」、というほかない。昨年<上伊佐>神社は、突然Google Earth上に現れた。しかし、未だ訪れることはできていない。

 

 平安時代末期に京の伏見稲荷社から勧請された慶徳稲荷神社が喜多方市にはあるのだが、そこから真南にほぼ19kmばかり行ったところ会津美里町に伊佐須美神社はあるけれど、どちらも例年七月初旬、国の重要無形民俗文化財に指定された「お田植祭」が行われる。両神社の御神輿(おみこし)にはの象徴である「玄武」のと、を象徴する「朱雀」の鳳凰が各々掲げられている。

 喜多方市には<北・上伊佐>、そして旧高田町には<南・下伊佐>があった、そんな思いにいまも囚われている。

 

 確かに、峰々を人間に喩えるには無理がある。それゆえの「醜女(しこめ)」なのではあろうが、手の届かぬ天蓋の星々よりも、今日の命の糧を与えてくれる山々の方がいかに大事か、浅はかなのは「邇邇藝(ににぎ)」の方だろう。木花咲耶姫の怒りは当然のことなのだ。

 

 ※ 「代」は「田代山」の「代」を想定しています。「田」は古代漢字の意味では、白川 静は、

   <東西南北>としているので、私は方位を知る山と捉えています。(古代天文台跡地?)