「別にもういいです」

そう言いながら
本当は全然よくない時ってありますよね。

わかってほしかった
気づいてほしかった
大事にしてほしかった

でも、思ったようには伝わらなかった。

すると…
人は、素直に「寂しかった」と言えなくなることがあります。


 

例えば職場

自分ばかり大変な仕事を抱えている気がしていた。

本当は

「気づいてほしい」
「少し手伝ってほしい」

と思っていた。

でも言えない。


すると…

「もういい、自分でやるから」となる。

でも、心のなかでは

“なんで誰も気づかないんだ”
が積もっていく。


 

すると…
周りが何か声をかけても


「今さら遅い」

「どうせ口だけでしょ」


と、受け取れなくなる。


 

これ、よくある心の動きです。

 

人は、傷つくと“拗ねる”ことがあります。

拗ねるというと
子どもっぽく聞こえるかもしれません。

でも実際は
傷ついた心を守るための反応だったりするのです。

本当は
「大切にしてほしい」
だった。


でも…
それを言って断られたら怖い
笑われたら怖い
迷惑だと思われたら怖い

だから
「もう期待しない」
という形で自分を守る。

すると心は
素直に欲しがる代わりに

ひねくれる
意地を張る
冷たくなる
あきらめる

そんな形になっていくことがあります。

でもここで
少し切ないことが起きます。

“拗ねている時”って
優しさを受け取れなくなるのです。

例えば、誰かが気遣ってくれても
「どうせ本心じゃない」と思ってしまう。

褒められても
「社交辞令でしょ」となる。

誘われても
「ついででしょ」と感じる。

つまり
“欲しかったもの”が来ても受け取れなくなる。

なぜなら
また期待して傷つくのが怖いから。

だから
先に心を閉じてしまうのです。


でも本当は
その奥にあるのは
怒りでも、ひねくれでもなく

「わかってほしかった」

なのかもしれません。


この“拗ね”の奥に
とても柔らかい本音が隠れていることがあります。

「寂しかった」
「悲しかった」
「助けてほしかった」
「本当は甘えたかった」

でもそれを見せるのは弱い気がした。

だから
理屈で固める
強がる
平気なふりをする

まるで
傷口を隠すために
何枚も鎧を着るみたいに

でも
鎧を着続けていると
傷つきにくくなる代わりに
優しさも届きにくくなります。

だから大切なのは

「拗ねるな!」
と無理やり変えることではありません。

まず
「本当は、どうしてほしかったんだろう?」と
自分に聞いてあげること。

そして
「私は、言わなくてもわかってほしかったんだな」と
気づいてあげること。

そこに気づけると
少しずつ、強がりの奥にある“本音”が見えてきます。


人は
本音に近づくほど
柔らかくなっていきます。

そして不思議なことに
素直さが戻ってくると
今まで受け取れなかった優しさが
ちゃんと届き始めることがあるのです。