【わたしの幸せな結婚】自己肯定感が低くなる要素 | マンガ心理学って何だろう

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サブカルチャーを中心に心理学と結びつけた話を書きます。
「マンガ心理学」の確立に向けて頑張りたい。

お疲れ様です。
 

何か1つでも宣言したものを実行せねば・・・

と思うこの頃。

やっとひとつだけ書けます。

 

コロナ減少率鈍化状態。

「気をつける」ことが難しい状況ですね。

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8月末に宣言したのに、1つも書けていない。

だから、1つだけ挙げます(笑)。

 

本日は、「わたしの幸せな結婚」です。

 

 

 

顎木あくみ先生の小説で、もともとは小説家になろうに連載されて

いたよう。

書籍化は富士見L文庫(KADOKAWA)から。

ご本人のTwitterでは、今後はカクヨクやエブリスタでも掲載される模様です。

 

コミカライズされて美麗なマンガになっています。

 

 

上記、是非PVを見て頂けるといいなと思います。

 

時は大正。

異能が使える世の中。

しかし、異能の力も近代となり科学が隆盛する時代となって、使うことが少なくなり・・・だんだんと使える人も好少なくなってきた頃の話。

主人公は奥ゆかしく、引っ込み思案で自己肯定感が全く持てない美世。

 

異能の家系である斉森家に生まれた美世は、母を幼くして亡くし、異能の力が発現しないことで後妻と義妹に虐げられるようになりました。

父もなにも言わず、部屋も押し出されて、しだいにお屋敷の使用人扱いとなっていったのです。

 

本来はお嬢様であるにも関わらず、教育も小学校まで。必要な淑女教育も受けられずに年頃を過ぎました。

 

義妹はわずかですが異能を発現しました。その頃から美世への対応が変っていき・・・

斉森の跡取りは義妹であり、父も継母も義妹しか目に入りませんでした。

継母は、元々父と恋仲であったところ、異能継承の為に美世の母親と政略結婚がなされ、別れることとなりました。

継母はその恨みが強く、亡くなった美世の母を「どろうぼう猫」呼ばわりし、その娘である美世にも逆恨みをしていました。

 

その当たりはきつく、折檻、罵詈雑言の数々。

実の娘には「あなたは違う。美世のようになってはいけない」と間違った愛情をかけ続け、姉を姉とも思わない鼻持ちならない義妹となったのです。

 

美世は、幼い頃から家族から家族扱いされず、何かをすれば折檻され、物を言うことを許されない環境で育ち、全てにあきらめの感を抱いていた頃に縁談の話が来ました。

 

斉森家は、傾いてはいるものの異能家系であり、特殊な状況から異能を持つ家との縁談が普通っだったのです。

世間的には「長女」ですが、家族として認めてもらえない生活を送ってきたにも関わらず、父は家督を義妹に託すつもりだったので、体よく追い出すつもりで、その縁談を美世に言い渡します。

 

この縁談先は、異能家系の中でも優れた家柄でしたが、縁談相手の良い噂を聞かなかったため、美世には調度良いと思ったのでしょう。

そこで拾ってもらえなくても、もう家に戻すつもりはなかったのです。

とりあえず、婚約者候補としてさっさと家から出してしまいました。

 

しかし、この縁談相手の久堂清霞こそ、美世の所謂王子様だったのです。継母と義妹にいじめられた美世が自分を取り戻し、世の中を知り、人を愛おしむことが叶う和製シンデレラストーリーです。

(未だ婚約者ですが)

 

マンガは比較的に小説に忠実で、美世の心模様も言葉と絵で非常によく描かれています。

 

今回、注目したいのは美世の内心。

美世は虐待されて育ってきたわけで、その内心は自分を無価値だと思っており、自分を認めたり好きになることなど微塵も持っていませんでした。

 

ただし、家を出られることには安堵しており、例え縁談先がNOでも使用人として雇ってもらうことを考えていました。

 

幼いときから、虐げられ、罵られ、認められることがなく育つと、自分に自信がなく自分で自分を貶めていくことさえあります。

その描写が小説もマンガも非常によく表現されています。

これは自己肯定感が低いということです。

 

自己肯定感とは、自己に対して前向きで、好ましく思うような態度や感情のことです。

 

自分はかけがえのない存在であり、良い部分も悪い部分もあるけれど、私は私なんだ、と自分を受入れるあり方そのもののことです。

 

この自己肯定感が低いということは、自己に対してマイナスで、自分は好ましい存在ではない、生きていていいのだろうかといった、生きる意欲の欠けるものとなります。

そして、他者に助けを求めることもできなくなる。

当然、キャリア(人生)をよりよくして行こうという意思が薄れていきます。

 

人間、少なからずこの自己肯定感が高められないと、存在することに疑問を持ち、何をしてもダメだとネガティブになり、幸せを見つけることができなくなります。

 

自己肯定感を高めるのも低めるのも、最初のうちは「他者」です。

親や家族、周囲の人間がその人を認め、褒めたり諫めたりと育てる感覚を持って接する人たちがいるか否か。

 

この小説やマンガでは、人の自己肯定感を低めたければ、ずっと罵り、認めることなくいれば、「こうなりますよ」ということを実によく描かれているのです。

高めるためには、その逆をすればいい。

 

婚約者の清霞は美世のあまりの奥ゆかしさや健気さに驚き、戸惑いましたが虐待されてきた過去を知ったことから、美世に優しく、美世が自分から何かできることを喜び支えていきます。

 

清霞のあり方は、改めて美世を「人間」にしていくための子育てのような感覚もあり、婚約者としての愛情もあり、しだいに美世の内心を変えていくのです。

 

人に信頼され頼られ認めて、褒めてもらえる。

とても単純なことのようですが、まなならないことも描かれています。

 

大正という時代背景も、当時の女性の生き方に制約があることを感じられます(完全大正な感じではありませんが・・・・)。

 

行ったり来たりしながら、愛情を知り、認められることを知り、幸せになってもいいんだと次第に強くしなやかになっていく美世を見ていて微笑ましくなります。

 

異能を扱うファンタジーでもありますので、楽しんで読んで頂ける作品だと思います。

 

今月に小説は4巻目、マンガは2巻目が発売されました。

是非、もどかしくも晴れやかになるこの作品を読んでいただけるといいなと思います。

 

 

では、また。

心燃やして取組みます。