【約束のネバーランド】運命の向こう岸 人類愛のエマ 最終話に思う | マンガ心理学って何だろう

マンガ心理学って何だろう

サブカルチャーを中心に心理学と結びつけた話を書きます。
「マンガ心理学」の確立に向けて頑張りたい。

お疲れ様です。
 

梅雨ですね。

大雨降ったり気温が変わったり。

 

先日、耳下腺が腫れまして。

顔の大きさが変わるって、本当にびっくりします。

自分であって、自分でないような。

色々考えました。自分って何だろうと(笑)

 

東京アラートは解除されました。

まだ心配なことはありますが、日常が戻りつつ、新しい生活様式を

踏まえていきたいと思います。

この状況、まだまだ皆で乗り越えていきましょう!
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さて、週刊少年ジャンプ28号では、終わるものと始まるものがありますね。

鬼滅の刃も終わり、連載期間の4年前後のものが終了していく・・・

毎年、ジャンプの連載マンガは目まぐるしく変わりますが、やはり寂しいような。

 

onepieceハイキューヒロアカDr. STONEなどはまだ続きますね。

馴染みのものがあるのはホッとします(笑)

呪術廻戦、がんばれ!アニメ化しますし、もっと勢いがつくはず。

 

アクタージュ、舞台化されますね。

主人公を公募オーディションするとか・・・夜凪景のリアルバージョンって見つかるんでしょうか・・・・神がかり系のめり込み女優ですが。

 

久々に矢吹先生がジャンプに帰ってきました!

ゆらぎ荘が終了しましたからね、中高生男子のオアシスになるのではないでしょうか(笑)

 

本題に。

今日は「約束のネバーランド」を。

本誌最終回です。

アメリカで実写版ができるとか。

日本の実写版もありますが(北川景子さんのママは素敵です)、この作品のイメージでは、外国版はぴったりだと思います。

アニメ第1期は2019年1月 - 3月でした。

原作の忠実で、なかなか見ごたえがありました。

第2期は来年予定とのこと。

 

鬼滅の刃と同じ2016年から連載がスタート。2020年28号で終了。

4年間お疲れ様でした。

原作:白井カイウ先生、作画:出水ぽすか先生タッグのマンガです。

ジャンプでは、原作者&作画チームによるマンガがちょこちょこありますね。

 

 

こちらも鬼滅の刃と同じく鬼のいる世界。

でも、鬼の種類が違います。

(この辺りを、日本マンガ学会のとある方がモンスター論で論じております。面白いですね)

世界観としては、日本ではなく外国です。

 

鬼は、鬼として地球らしきところで、人間との約定のもと住んでいます。

人間を食べなくても生きていけるしくみがあるのに、人間を嗜好品として食べます。特に、脳を。

ただの嗜好品ではなく、鬼の状態によっては人間の脳を食べないと意識が保てないものもいます。

結構、グロテスクです。

(最近のジャンプはグロ系多いですよね(笑)約ネバの場合は最初だけではありますが)

 

一級品の脳は、知能の高い12歳前後までの子どもの脳。

ある約定の下で、人間は鬼に提供する脳を育成していました。

特別な子どもを育成するため(脳)の施設や、量産品(脳)となる子どもを成長させる施設など、いくつかあります。

書いているだけで、胸糞悪くなるのですが、そういう設定のお話なのです。

 

鬼に提供されるために育てられる子どもたち。

「ママ」と呼ばれる、施設の責任者に偽(演技)の愛情をもって育てられ、知能を上げる訓練をし、皆で生活を共にしながら家族として育っていく。

時期が来たら、養子が決まったと嘘をつかれ「出荷」されます。

 

ある時、それに気づいた3人の知能の高い子どもたちがいました。

この3人が主人公。エマとノーマンとレイです。

そこから、この物語が始まります。

「自分たちの暮らしていたところは、何かが違う。ここを出たら殺されてしまう、食べられてしまう」ということを理解したのです。

それでも、見えている世界は狭く、外を知らない。

何が正しくて何が違うのかもわからないのです。

当たり前はこのホームの中だけ。比べるものがない。

(設定が違いますが、「7SEEDS」を彷彿させると感じました)

 

この後、施設から逃げる、世界を知る、鬼と戦う、と小さな子どもたちが、自らの生をつかみ取るために、壮絶な戦いを繰り広げていきます。

アニメ第1期は、このあたりで終わっています。

(一応、外を知るための暗号が幾つもの本に描かれてはいました)

 

約束ネバーランド」とは、鬼の頂点・始祖的存在と、約束した先の

未来に存在する、みなが死ななくてよい、人間として生きていける世界を示していると思います。

 

ここでいう「世界」とは、地球らしきところのあるエリアを示すものではありますが、鬼に食べられるというしくみが無くなる世界ということも意味していると考えられます。

 

鬼の嗜好品となるシステムを崩壊させるために、主人公の一人エマが、鬼の始祖的存在と約束をします。

望む世界を得るために、自分の何かを差し出す約束をしなければならず。

相手が望んだものがエマの「家族」でした。

施設の子どもたち、その後に仲間となっていった子どもたちは、エマにとって皆家族。

 

その「家族」を捧げるとは「家族との記憶の全て」を失うことでした。

仲間である家族としての子どもたちは、無事に「人間」の住む世界に行くことができた。

出荷用人間製造施設もなくなり、そこにいた子どもたちも「普通」が享受できる世界に行けた。

 

引き換えに、エマは「家族」の存在を、記憶を失くしました。

人間の世界にエマも行けているのですが、記憶がない。

だから、皆に会おうと戻ろうとする行動は起こりませんでした。

だけど、皆はエマを2年かけて探している。

 

すれ違う中、人間の世界にも禁域みたいなところがあり、最後にそこを探したところで、レイの直感によって会うことができました。

 

エマは皆が誰だかわからない。

ノーマンは、エマが皆をわからなくても、生きていてくれてよかったと涙を流します。

今のエマが違うエマでもいいと。

ノーマンの言葉を聞きながら、エマは魂に刻み込まれた記憶といいますか、内側の何かが「みんなに会いたかった気がする」と涙を流す。

(心理学的には無意識の領域でしょうね・・・)

 

壮絶な戦いに終止符が打たれてから2年後、家族は再会することができ、やっとみんなの「普通」が得られたことがわかり、終わりました。

ハッピーエンドでよかった。

物語はハッピーエンドが納得性が高いと思います(笑)

 

この物語は、小さな子どもたちが、自分たちが「選択」できることを望み、そうできる世界をつかみ取るために命をかける、という要素があります。

 

自らの人生を考えて、選択して生きていく。

そんな当たり前ができない世界を描いています。

 

改めて、今生きている自分たちの世界は、自由で自分で責任を持てて、選択できて、切り開いていくことが許されている世界なのだと実感します。

それも「今」だからですが。

 

貴族社会であったり、階級があったりと職業も選べない時代もありました。戦も戦争もあった時代、自分の人生を選べることは少なかったでしょう。

 

「今」は、そうではない。

コロナ禍で窮屈だったり、経済的に困窮したりして、その「自由」を奪われた感じを持った方もいると思います。

その中でも、選ぶことができる余地が残されているという現代。

 

このマンガからは、そんな「当たり前」が当たり前でなく、つかみ取るために命をかけなくてはならない世界を考えることで、今の自由さと選択できる喜びを知ることができると思います。

 

 

 

ひとつ、ずっと気になっていることがあります。

それは、エマの人類愛的な母性というか、強い愛他性です。

愛でも恋でもなく、他者を助ける・人を愛する性分のことです。

しかも、エマの場合は自己犠牲的な愛他性なのです。

この強い愛他性がどうして12歳で備わったのだろうか・・・

という疑問です(笑)

 

 

このマンガの世界では、出荷するために集められた子どもたちは、

家庭的で共同生活を行う場所である特殊施設で育ちます。

そこには「ママ」という母親役であり、指導者役である存在が1人だけいます。

 

このママは、もちろん、子どもたちが鬼に食べられることを知っています。しかし、「高い知能の脳」をどれだけ出荷できるかは、評価につながりるので、ママという役を演技して子どもたちを養育します。

ママは、徹底した偽の愛情を子どもたちにかけ、育み、知能が高くなるように教育していきます。出荷できるときまで。

 

全員に降り注ぐ愛情。

しかし、エマは独占欲もなく、下の子たちの面倒を見ながら実に正しく育っていきます。

 

ママの裏切りを知ったとき、怒り恐れましたが、心配したのは「みんな」のこと。兄弟姉妹のように感じているホームの子どもたちの未来を心配したからこそ、ここを出ようとしたのです。

 

これが、不思議に感じているのです・・・

愛情をもって育てられれば、それが実親でなくても、愛着は形成されていきますが、外を知らず、ホームでの出入りする(赤ちゃんで来て、養子縁組が決まったと出される(出荷))子どもたちとの生活であった12年の経験で、ここまでしっかりとした愛他性が身に付くのだろうか?と。

 

「いや、そこはマンガだから」と言われればそれまでなのですが(笑)

 

裏切りを知れば、ショックです。

勿論、そういったシーンはありました。

だけど、比較的早くにママを「敵」と看做し、そこから離れる算段を建設的に行っていきます。

 

実親毒親でも、親を見切るのに相当の時間がかかります。

虐待を受けた場合もそう。

離れたくても離れることができない。

どんなに蔑まれて、個を認めてもらえなくて、苦しいのに見切ることは難しい。この葛藤に悩まされます。

 

心は満たされず、不安を抱え、苦しむ方々を知っています。

だから、エマの愛他性とママを見切れる(これはレイもノーマンも同じ)ことが不思議でした。

レイは、幼児のときにママの裏切りを知っていたので、ちょっと捻くれていた部分がありました。当然かと。

ノーマンは、何故か先のことを考えることができた。

男子は大なり小なりマザコン部分があるはずなのですが、

淡泊だわ(笑)

 

この子どもたちの心の動きが、私には不思議に思えて(苦笑)。

 

ホスピタリズムやマターナル・デプリベーション(母性剥奪)はないのだろうかとか、「多くの子どもたちとは違う自分たち」という集団意識を持つとかそういう成長過程がないのに、神的な母性や愛他性が生じていることに興味を持ちました。

 

「いや、そこはマンガだから」だとは思うのですが(笑)

 

私的には、かなり興味深い成長例でして、その意味でもこのマンガが気になっていました。もう少し深めていきたいと思います。

 

終わってしまいました・・・

でも、全てのものに必ず終わりあり、ですからね。

惰性で延びずによかったです。

(鬼滅の刃と同じ!W作者の先生方、本当にお疲れ様でした!)

 

アニメ第2期、実写化など、まだまだ話題は続きます!

是非、読んでみていただけるといいなと思います。

 

では、また。

心燃やして取り組みます。