病気になっも
自分を責めないで
どんな自分も愛してあげる
そして許せない自分を
許していくこと
これの続きです。⬆️
精神科で薬をもらいました
なんとなく落ち着くような
でも精神科に行く=弱い人間と言うレッテルを貼り続けていたの紛れもない弱い私
夫は毎日泣き叫ぶ妻を見てどう感じてたのか
子ども達は毎日泣き叫ぶ母を見てどう感じてただろうね
母は毎日泣き叫ぶ娘を見てどう感じてたのかな。
そんな事を考えると私は心が痛かった。
その頃、我が家に旦那の義母が
突然引越ししてきたんです。
私の母に申し訳ないからと…
びっくりしましたよ。
その頃私達家族5人
私の母
旦那の母の7人の奇妙な同居が始まりました
義母には辛く当たられ
それでも反抗できず
このままだと死んでしまうのかも?って
母は私を夜逃げ同然に実家へ連れ出してくれた
ほんの少し実家にいるつもりだったけど
もう帰らなかった。
子ども達の事を考えると
今でも胸が張り裂けそになる。
義母には子どもを捨てたと言われた。
そこから怒涛のように実家で眠り続けることに
なるなんて。
3年間眠り続けて、
みるみる太り続けた。
外出は月1回の膠原病の定期検診のみ
病院には母に着いてきてもらって
一緒に通院
筋力も体力もないから歩けない
74歳の母に着いて歩くに必死だったな。
自分を責めて責めて責め続けることで
子ども達に許して欲しかったのかもしれない。
こんなお母さんでごめんねって…
そんな私だったけど
喜怒哀楽もなくしていた私だけど
たまに笑うとね、父が喜んでくれたり
喋ると喜んでくれたの。
両親は私に何にも言わなかったし
弱いとか
姫路に戻れとか
仕事しろとか
一切言わなかった。
両親の愛を受け
私は少しづつ元気になり
社会復帰して仕事に行くようにまで復帰
この頃ダイエットも並行し
長女とも実家で暮らし始めることになりました。
年月が私を私自身を許してあげるのに必要だったのかもしれない。
こんな私なんてから
こんな私もオッケーに。
自分の事を大事に大切に扱う事を知った。
今までは
子どもの事を1番優先に考えていたけど
自分の事を1番に考えることに
自分が許可していくことに。
仕事に行き
色々な人と関わりながら
喜ぶ事
楽しむ事
そんな普通の事を
感じる事に幸せを感じていました。
膠原病の薬も年月をかけて
ゆっくりゆっくり減薬を積み重ねて
7年前に飲んでいた
ステロイド剤のブレドニンも
8錠→現在2錠に減薬できました。
Facebookのグループで
昨日、紹介して下さったこの本の紹介を見て
確信しました。
まだ読んでないから
たぶん本文を抜粋したものだと思う⬇️
膠原病(自分の免疫系が自分自身を攻撃する自己免疫疾患の総称)や、バセドウ病など、根本治療が難しい難病の人たちにしばしば見られるのが、「私は弱い人間だ」と言うセルフイメージです。
病気を止める、あるいは病気にならない体になるには、結局のところ、許していない自分を受け入れ、そして自分を許していくことなのです。
と書いてありました。
私の病、膠原病は
原因不明だと思っていたけど
この文章を読んで私は泣きそうになりました。
[許していない自分を受け入れ、
そして自分を許していくこと」
そっかー
私はまだまだこんな自分じゃダメだ
もっともっといけるはずだって
自分を責めていたし
心の奥底では
自分が弱い人間で
気にしいで
他人のことばかり気にして
生きてきたから
本当は弱いのに
弱い人だと見られたくなくて
意地はって強く見せかけいたのかもしれないなあ
強いところもあるし
弱い所もあるんだって
そんなグレーゾーンでも
良かったのかもしれないね
病気になっも
自分を責めないで
どんな自分も愛してあげる
そして許せない自分を
許していくこと
そんな事にやっと気づく為に
病気になったのかもしれないね。

