親鸞聖人のお話 | 慈しみのひかり。

慈しみのひかり。

視えない世界、精神世界について書いています。
特に、魂、神佛、霊界について。


 皆さま ごきげんよう

 今回お届けする親鸞聖人のお話
 これは、亡き師の御説法です。
 毎日、早朝4時と10時済度に
 師の御説法が流れますが
 この御説法が私の魂に響いたので
 皆さまにも共有させていただきます

 
 1998年1月9日の御説法より


 親鸞は、新潟の方に流し者になりました。
 法然は、さらに向こうの四国の方です。
 流し者になりました。
 この師匠と別れるのが大変つらかった。
 本当にわずか何年しか逢ってないけれども、
 何十年も逢った以上、
 それこそ何百年も何千年も
 この世にいっしょにいた以上の想いを全部、
 親鸞が受け継いでいるわけです。

 この師匠と別れるのが恋しいと言って
 詠んだときの歌が
 『会者定離(えしゃじょうり) 
 ありとはかねて 聞きしかど
 昨日(きのう)今日とは 思わざりけり』

 会う者は必ず別れる運命にあるって、
 そんなことがあるとは聞いていたけれども、
 昨日(きのう)今日だとは思わなかったと。
 それは、現世の悲しさです。
 でも法然は肉体の別れぐらいは、
 そんなものは大したことないじゃないかと。

 『別れ路(わかれじ)の路(みち)は 
 はるかに隔てれど
 心は同じ花の台(うてな)ぞ』
 佛を憧れていくという心があったら、
 いつも同じ蓮の花の上に魂はいるじゃないか。
 それを信じて喜びあおうぞっていって
 別れたんですけれども、
 結局二度と逢うことはなかったんです。

 そのお赦(ゆる)しがでて、
 さぁお赦しがでたからといって
 急いで京都に向かった時には、
 今みたいに飛行機や新幹線で
 行けんわけですから、
 何十日もかけて京都に向かうわけでしょう。
 しかも、雪で状況の悪い所で
 思うように進めない。
 それで福井あたりで聞いたのが、
 法然上人はお亡くなりになられましたと。
 やっぱりそうかと。

 でも、そんな亡き骸(なきがら)を見ても
 仕方がないし、京都に帰るよりは、
 だったらむしろ
 「もっとこの教えを
 待ってる人たちにこれを伝えよう」って言って
 帰ったわけです。

 でも最初、流し者になった時は、
 命からがらですよ。
 今の親不知子不知(おやしらずこしらず)を
 渡るときにも、
 命がないような中を一所懸命行こうとしたら、
 有名な話ですけど、
 ふっと人が現れて、
 そこをうまく誘導してくれたっていうものが
 『立ちすくみ』だと
 最後に名のって姿が消えたんです。

 不思議だなぁ。
『立ちすくみ』という人が、
 このあたりにいるんかなぁって訪ねたところ、
 ある神官(しんかん)の奥さんが、
 自分の拝み仏(おがみぶつ)として
 持ってきたのが
『立ちすくみ如来』だったんです。
 千何百年か前に作られた仏像です。
 ちょっとかっこ悪いんですね。
 大雲寺というお寺ですかね。
 新潟の所を訪ねるとその写真とか、
 それが実際あるんですけども。
 立ったか、ちょっとかがんだような、
 立ちすくんだというのは、
 そういう格好だから
 『立ちすくみ如来』という名前がついたと。
 うちには『立ちすくみの阿弥陀様』
 というのがあるんだけれど、
 それを見てみますかって言って
 開いてみたところ、
 その裾(すそ)が濡れていた、その仏像の。
 実は、この仏様が現れたと。

 自分たちは不思議だと思うでしょ?!
 しかし、チャンネルが合うってことは、
 実際波動として現れたものが
 見えるってことなんです。
 声も聴こえるんですよ。
 普通、幽霊の声は聴こえないし、
 見えない人が、
 その時たまたまチャンネルが合うと
 見えるというのといっしょで、
 それだけ佛の手伝いをしようという者に
 対しては、必ずいろんな恩恵を示すと。
 危機以上に恩恵を示すと。
 それは、そういう場面をもって示さないと
 わからないからです、人間には。

 危機を与えたかのように見えても、
 それ以上の恩恵も同時に示すということで、
 危ない所も通らせたけれども、
 佛の願いはいつでも
 そういうときに手助けとしてあるんだよ
 ということを見せるために
 普通だったら現れない姿も現す。
 これは、本当の話なんですよ。

 言わば、
 あるはずのないことがあるっていうのは、
 チャンネルが合えば、
 どんな現象でも見せられる。
 これが般若心経ね。
 『空即是色』です。

 般若心経は、
 あんまり世の中では信じられてませんけど、
 実はそれは本当の科学です。
 チャンネルさえ合えば、
 どんなことだって現されますよ。
 霊界は、何でもします。
 姿の見えないものでも
 一時的に姿を現すことだってできるよって。

 こんな『立ちすくみ如来』の阿弥陀様が
 姿となって現れて、
 誘導して無事にそこを通り終えた。
 そんな経験を持ってるんです、
 親鸞のその時の弟子たちといっしょにね。
 不思議だなぁという、そんな事実があったり、
 そんな所を通って行ったんですけども、
 流し者にされてきた者だって言って、
 最初は誰も取り合わない
 その流し者にあった所の人たちは。
 でも、親鸞のそのあたたかみと
 ただただ佛を憧れて
 それを伝えたいという働きをしてることに、
 そのあたたかみにどんどん人がなびいて、
 今までまるっきり背(そむ)いていたというか、
 拒否していた人たちが
 本当に手のひらをひっくり返すように
 親鸞を憧れるようになった。
 これが本当のドラマですよ。

 だから、これは単なる夢物語じゃなくって、
 おとぎ話じゃなくって
 自分らが佛を憧れるということが、
 いつもいつも自分の輝かしい生き方であって、
 まわりが憧れてくれるような現状だったら、
 手のひらをひっくり返すように、
 今までの自分らの輝きがなかったことに
 反発していた人たちが逆に憧れてくれる。
 そんな人ほどですよ。

 自分たちが憧れてないことに
 イライラするわけですから、
 それを伝えていることを
 演じてるわけですから、
 救われてない有縁霊のことを。
 逆に救われだしたときには、
 そんな人たちほど逆に変わるんです。

 それが、“鬼が転じて佛になる”ということです。
 それは、
 もちろん自分らの鬼が転じて
 佛にならなければ、
 まわりはそうなりませんよ。
 自分たちが相変わらず鬼であるって、
 小鬼・大鬼・赤鬼・青鬼・・鬼ばっかりや(笑)
 佛のまわりは、鬼だらけ(笑)
 笑いこっちゃないですよ。

 菩薩でしょう、自分たちは。
 本来、菩薩でありたい者が、
 むしろ人殺し以上の罪だってことを
 作ってるわけですよ。
 有縁霊も救わなければ、
 この汚点は人殺し以上です。
 魂を救わない、有縁霊を救わないってのは、
 現世で人を助ける立場の者が、
 人を殺した以上にもっと逆を行ってます。
 そのことを自分らが切実に感じない限りは、
 この仕事を負担に感ずる一方です。

 さっきの親鸞ですけど
 師匠に逢いたい、法然に逢いたいと
 思っていたけど、亡くなりましたって。
 じゃぁ、新潟に帰りますと。
 そこからまた、
 そこにぬくぬくとしておれない。
 もっと自分を厳しい環境においても、
 自分を最初は
 けなすような者があるような所へ行ってでも、
 それを広めたい。
 だから、親鸞が最初に行ったのも、
 こうして流し者になったり、
 師と別れたり、
 家族をバラバラにされたり、
 こんな恨み言ばっかり言いたいような
 この環境であったって、
 この中でお前に大きな仕事を
 与えてやるという、
 これが師の教えである恩賜(おんし)であるって。

 普通だったら、そんな目に遭ったら、
 せっかく佛を信じてきたのに、ですよ。
 こんな目に遭ったって、
 自分らはすぐ言いますよ。
 もらってきた恩恵をカラッと捨てて、
 ちょっと苦しいことがあったら、
 それは自業自得じゃないですか。
 自分らの憧れがないことを
 まわりが訴えてるだけです、今は。

   あの“基本1”を
 自分らはいい加減に読んでますけど、
 佛の願いは、もっと恩恵を与えてます。

 (“基本1”
 苦しみを与えられたときこそ、
 神・佛の愛を知らなければならない。
 苦しさの中でこそ、はじめて偉大になれる。
 くもりが多く、
 次から次へと病気や災いがある人ほど、
 神・佛が『この人こそは!』と
 鍛えてくださっている。
 苦労させて、鍛えて、
 それから大きく使ってやろうという
 神・佛の大愛である。
 だから苦しい時こそ、
 神・佛の真の心を悟り、
 決して不平・不満を思うことなく
『自分はそれほどにも神・佛に愛されているのだ』と
『試されているのだ』と感謝し、
 精一杯それに応えていかなければならない。
 苦しい時こそ、自分が成長できる、
 大きくなれるチャンスである
 ❝一斉が福である❞)

 自分らに苦労を与えた以上の恩恵を、
 実は与えてるんですよ。
 でも、自分らは、
 あれを(基本1)やっとやっと読んでますよね。
 言い聞かせて、言い聞かせて。
 本当はそうじゃないです。
 佛を憧れる者は、
 もっと大きな仕事を頂いたって、
 本当に喜ぶんですよ。
 自分の苦境があれば、あるほど。
 これは、言い聞かせているんじゃない。

 親鸞は本当にそれくらい憧れていたから、
「私にこんな大きな仕事を頂いた」と。
 京都ではある意味、
 恵まれた環境であたたかい中で
 ある程度生活していた者が、
 一挙にどんな所に行ったかといったら、
 家もないでしょ。
 自分で小屋を建てて、
 しかも四本柱に筵(むしろ)を垂らしただけの
 そんな小屋ですよ。
 そんな所に、単(ひとえ)の衣を一枚とかで、
 今だったら、凍(こご)え死にますよ。
 でも、そんな時代の人たちは、
 鍛えられているというか、
 寒さに鍛えられているから、
 それも耐えられたんでしょうけども。
 でも、生やさしいことじゃないですよ、
 そんな中で、
 しかも自分で米を作りながらでしょう。
 普通だったら、恨みますよ。
 あいつが悪いからだって。
 世の中が悪い、政治が悪い、天皇が悪いとかね。
 それは、元はと言えば
 天皇の勅(みことのり)から端を発して、
 そういう目に遭うことになったんですけど。
 恨むしかないのに、
 「そうじゃない。これは恩恵である」って
 言ったんです。
 そのくらいの憧れをもって、
 苦労の時代も終わって
 「私は、いい仕事を与えていただきました」って。

 「苦労を苦労とは思わずに
 佛の恩恵を与えていただきました」って。
 今でも、それは霊界に帰って言うことです。
 しかし、
 「もっとあなた方が羨ましい」
 と言ってるんですよ。
 「私は、その苦労した時代でも
 済度はさせてもらえなかった」と言ってます。
 「すべてを救うという力までは
 与えられませんでしたよ」って。
 自分らはいかにこれを見失っているか
 ということです。
 いつも言葉で聴き、
 いろんな恩恵をここに与えていただいて、
 言葉でも聴いてるやないですか。
 済度がどんなに大きな仕事かっていうことを。

 しかも、なおかつそこから、
 今度は茨城県に行った。
 有名な弁円(べんねん)との出逢いですね。
 それが、鬼が転じて佛になった話じゃないですか。
 自分を恨む者が、
 こうして親鸞の慈顔(じがん)にふれて、
 慈しみの顔にふれて、
 もう殺そうとしていた親鸞に対して
 「私が悪うございました」って、
 こんなに凄い素晴らしい人を私は恨んだり、
 殺そうと思ったりしてたのが恥ずかしいって。
 そんな者が、鬼が転じて佛になって、
 本当に親鸞にピッタリくっついて
 離れない一生を送ったって、
 これは本当にドラマじゃなくって
 あるんだから、この事実が!
 自分たちは、
 有縁霊を救うという願いに徹底したりすれば、
 どんなに自分たちを恨んでいたもの、
 殺そうとまで自分らを憎んでいたものも・・・

 
 如何でしたか。
 有縁の霊を救う事の大切さ。
 この御説法を読まれて
 少しは分かってくださると嬉しいです。
 有縁の霊を救うことを
 済度といいます。
 私は神迎えという神事を
 させていただいていますが、
 霊界を救わずして
 神佛とは真に繋がれないと
 分かった次第です。


 亡き師の愛弟子が
 霊能者アミさんです。
 アミさんから
 皆さまに向けてお言葉を頂戴しました。


 8月は太平洋戦争の終戦や
 広島・長崎の原爆がありました。
 日本人としての
 霊的な英霊の皆さんの礎があって
 今の平和があるっていうことを
 いろんな角度から
 改めて認識させられました。
 激動の昭和の時代を
 私たちもしっかり意識して
 日本の礎になってくださった
 たくさんの命があってこその今に、
 しっかりと敬意を払い頭を下げる。

 8月を過ぎるとまた霊的な流れが変わってきて
 来年の流れに入ってくる。
 来年のビジョンというものを、
 今から準備していくことが大事。
 具体的に、世の中の変革期が
 大きく動いている。
 精神文明としての流れが
 世の中全体が目に見えるように
 変わってきている
 明らかにスピードが速い。
 いつまでも、
 自分はこうだとかという
 古い価値観に捉われるていると
 どんどんと意識が
 霊的な流れに乗り遅れてしまうぐらい 
 今、スピードが速い。
 だから、これから大事なのは、
 調和・融合・協調性。
 人の縁とか、人間関係に
 和をもっていくことがとても大事。

 そういう時代になっていくので
 そのところを意識しながら
 自分の魂や、やるべき事を
 さらに来年に向けて明確に準備していく。
 見積もりを持って、
 ビジョンを持つ、大事な時期なのです。



 今日で8月も終わり。
 皆さまにとって、どの様な夏でしたか?
 私にとっては、
 右足首の怪我に始まり、
 怪我で終わったというところでしょうか。

 
 9/13,  9/20
 10時からの海の済度に行きます。
 ご一緒出来る方、いらっしゃいましたら
 ご連絡下さい。
 こちらまで
 haru8816forest@gmail.com

 
 昨夜から宿泊している温泉の
 月下美人が咲きました。
   一夜限りの花です。



 



 初めて見ました。

 22時頃に咲きはじめると聞いていましたが、

 酔い潰れていた私は、

 深夜1時半頃、霊と一緒に

 拝見させていただきました。



 明日から暦の上では秋。

 まだまだ暑い日が続きますが、 

 皆さまお身体大切にお過ごし下さい。

 長くなりましたが、

 ここまでお付き合いくださり

 ありがとうございます。