父が永眠しました②(お通夜) | やさいのほとり

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40代後半に離婚しました。
元主婦がなんとか再就職して自活。(現在は50代)
涙あり笑いありの再出発日記です^^

ブログはゆる~い駄文かな。(短歌は力入れてます)
多くの方に読んでいただけたら嬉しいです。

母はまず東京の妹に知らせようと言いました。
 
午前2時台のことで、「あと2~3時間待ったら?始発も動かない身動きできない時間に知らせても可哀相」と引き留めましたが、耳に入らないようでした。
 
午前4時台には葬儀屋さんにも電話しているので驚きました。その時間に電話がつながったことにも驚きです。
死亡診断の先生が到着したのが朝7時ちょっと前でしたから、それより何時間も前に「お通夜は土曜」「葬儀は日曜」と手配が進んでいました。
 
するべきあれこれが押し寄せ、「遺族は泣いている暇は無い」の言葉どおりです。喪主として切り盛りしていこうとする母の意志を感じました。
 
玄関脇の部屋に置かれ、父が4年間お世話になったレンタルベッドは、あっという間に業者さんに引き取られていきました。
自宅でお通夜を行うためです。
葬儀社からは2名の若い男女の担当者が訪れました。
するべきことを淡々と進めつつ冷たい感じもしない・・・若いのに信頼できそうな二人でした。
 
朝8時過ぎには妹が東京から到着。夜中のうちに知らせたのは正解だったようです。
妹は名古屋に住む親戚関係などにテキパキと連絡してくれました。
 
町内関係は、班長に伝えるとお通夜について触れ回ってくださる仕組みのようです。
このほか母の友人たちへの伝達で、知らせたい人への連絡は回ったようです。
葬儀は家族だけで行う「家族葬」と母が決めていました。
父の現役時代を含めた職場関係への伝達は、母の意思ではずされていました。
 
わたしも職場の上司に、火曜日まで2日間休ませてくださいと伝えました。
 
新潟の息子と東京の娘にも電話しました。
娘はすぐに出ましたが、息子にはなかなかつながらずヤキモキでした。
やっと息子に電話がつながったかと思えば、今度はお通夜の時間を伝えるために掛けた娘に、しばらくつながらなくなりました。
 
妹家族も、パパ(義弟)は中国駐在で帰国できず、大学生の娘(姪Nちゃん)は体調を崩して寝込んで来られず、高校生の娘(姪Kちゃん)は演劇の講演に主役級で出演するため、どうしてもはずせないとのことでした。
講演を終えてから向かうと最終の新幹線に乗れるかどうかの際どい時間帯で、
誰も悪くないとはいえヤキモキした様子でした。
 
やっとつながったうちの息子は「喪服が無い」と言い出し、「へ?だってMちゃん(彼女)のお父さんの葬儀に参列したんじゃなかったの?」と尋ねると、ダークスーツで間に合わせたとの事でした。
「それなら早目にこっちに来て。お金は出すから、AOKIか青山に買いに行こう」と指示しました。
 
「なんでこう若い人たちは・・・」とクラクラするところですが、自分が若い頃の自由過ぎた生態を思えば、1%も責めることは出来ません。むしろ庇うのみです。
 
結局スーツは葬儀社からレンタルできることになり~さらには本人のダークスーツ+父のYシャツと黒ネクタイを拝借することで間に合いました。
(ギョッとされた方、申し訳ありません)
普通はここまで写さないと思いますが、「お父さんだったら絶対記録用に写したよね」と妹と示し合わせて撮りました。
荼毘に臥した父の表情は「満足満足」と言いそうな口角の上がった穏やかな笑顔で、思わず見惚れるほどでした。
さすがに掲載できませんが、父の笑顔はお守りのように自分のスマホにキープです。
 
看護師さんのアドバイスで、白装束ではなく、好きな服を着せることができました。
母と相談して「お父さんが現役で活躍していた頃のスーツ姿が一番お父さんらしくて良いね」と、黒の上下を選びました。
母は「これはカシミアなのよ。欲も洒落っ気もゼロの人だったけど、良い物を着せていたから」と言いました。
遺影も定年退職後、立ち上げメンバーとして関わった2つ目の職場の集合写真から選びました。
 
お通夜は夕方6時からでしたが、日中のうちに2組のご近所さんがお参りにみえました。
これまで「お悔みの家の人は取り込んでいて忙しいはず」と決めつけて、前倒しでお参りすることなど到底思い付きませんでした。
しかし自分がその立場になってみると、とても嬉しいものだとわかりました。
 
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夕方には息子と娘がそれぞれ無事到着しました。
 
5時半にはお寺さんがみえました。
葬儀社の方の指示通り、お茶とお茶菓子をお出ししましたが、(高齢者あるあるで)30分も前にご近所さんがどんどん集まり、
お寺さんもお茶を飲むどころではなくなりました。
 
翌日の葬儀は家族のみと伝えてあり、父と対面するのはお通夜のその瞬間だけとあって、皆さんの対面が通り一遍のものではなく、いかにも名残惜しそうなことに胸が熱くなりました。
多くの方が顔も覗き込んで「穏やかな言いお顔」と言ってくださいました。
 
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賑やか極まるお通夜式でした。
人様の顔を覚えられないわたしですが、父の通夜に来てくださった方を知っておきたく、お焼香に着く人毎に小声で「誰?」と母に聞いたせいで、
母も「まぁ、○○さん。ありがとうございます」とわたしにわかるように大声で話し掛け、僧侶さんの読経中もずっとその状態でした。
 
やがて僧侶さんがおもむろにわたしたちの方に体ごと振り返り、三密もビックリの接近状態でお経を上げられたとき、
「もしや、うるさ過ぎてたしなめられている?」とドキッとしました。
思えば、読経中のお通夜席で遺族がしんみりしているのではなく、大声で一人一人に挨拶している姿は見たことないないなぁ。
前代未聞では?と大反省し、お帰りの際はお詫びもこめて「ありがとうございました」と深々と頭を下げました。
お寿司は葬儀社で注文。
3種類の手づくりおやきは、料理の先生もしているご近所さんが「うちの時もしていただいたのよ」と、持って来てくださいました。
大鍋には20種類はあるんじゃないかと思うほど具だくさんのけんちん汁。どちらもとても美味しかったです。
 
さて、実家に停められる車スペースは3台分のみでしたが、ご近所さんが快く駐車スペースを貸してくださいました。
息子や各業者さんも車で来るため助かりました。
 
驚いたのは夕食を終えた時分の出来事です。
先月もお見舞いに駆けつけてくれた名古屋の親戚が、「どうしてもお別れしたくて」と、約5時間の道中を再び駆け付けてくれました。
前回もそうでしたが、気を使わせまいと10分後に到着できる地点まで知らせず、完全なサプライズでした。
 
今回は父のお兄さん夫婦(伯父さんは90歳)と、従兄のSくん・奧さんのSさん。従妹のMMちゃんとMEちゃん。MEちゃんの旦那さん。
総勢7人で来て、3人は1時間の滞在でとんぼ返り。4人はホテルに泊まられるということで、急きょ家族葬にも参列してもらうことになりました。
 
ご近所とのつながりにも感動しましたが、血のつながりにも感動です。
先月まで、自分に親戚が居ることさえ忘れていただけに、心温まる出来事でした。
 
ご近所から借りた駐車スペースに、あらかじめ母、わたし、息子の車を移動しておいて良かったです。
実家の庭に黒塗りのゴージャスなBMWとジャガーが並んで壮観でした。
車種に疎いわたしはBMWはおろか、ジャガーのマークをプーマと思ったほどでしたが、翌日姪っ子のKちゃんも「同じく」と言いました。
セレブな親戚が居たんでしたね 笑。
夜中の0時に姪っ子のKちゃんがギリギリ東京から到着できました。
息子の運転で、わたしがナビゲートしながら駅に迎えに行きました。
そんな道中さえも、滅多に会えない、会っても二人きりになる機会はなかったため、貴重なひとときでした。
 
その夜、妹とわたしは父の棺の横で眠りました。
(③へと続きます)