前回からの続きです。
父が家で快適に過ごせるように、ケアマネージャーさんに相談しながら、床擦れ防止用の介護ベットをリビングに設置したり、トイレに手すりを設置したり、今までよりも厚手のオムツや防水シートを買って備えました。
そして終末医療は訪問専用の医師、看護師、介護士の方々にお願いしました。
父の退院日にケアマネージャーさんとその方々と初顔合わせの予定です。
退院の前日、病院側のケアマネージャーさんから連絡がありました。
父の呼吸が苦しく、酸素吸入を始めたが、意識はしっかりしているし話もできる状態。
酸素量も2リットルでごく少量だとのこと。
それを受けて移動時に呼吸が苦しくならないように酸素屋さんも手配して、
万全の準備を整えていきました。
そしてやっと迎えた退院日だったんだけれど…
父はあっという間に逝ってしまうのでした。
■O病院での対応
11時に病院に迎えに行くと、看護士さんが父を待つように言うだけで何の説明もありません。てっきり父のこれからについて説明があると思ったので、かなり長い時間を待たされて不安でした。
私たちは父に20日も会っていません。
今、どんな状態なのか?
昨日のケアマネージャーさんの連絡以外に何も分からないのです。
たまらずこちらから上記のことを看護婦さんに聞きましたが、
「え?担当医師からの説明は先日聞いてますよね?」と。
医師からの説明は10日も前に余命宣告されただけだし、本日は姿も見せません。
「そうじゃなくて、今日が退院で、もうこの後は家族が看るわけで。今日の様子とか…」と食い下がってみても、
「え、今朝までは元気でしたけど?」と、きょとんとした顔で答えるだけでした。
結局、はいどうぞとばかりに父を引き渡されるだけで、
看護婦からも医師からも最後まで何の説明もありませんでした。
家族が末期がん患者を自宅に引き取るうえで、
引き継ぎとか心得とか、現在の状態の説明とか何も無いのでしょうか。
前々からずっと感じていましたが、
なんなんだこの病院…![]()
と思いました。
やがて父がストレッチャーで運ばれて来ると、大変な事態でした。
呼びかけても反応は無く、目も半開きで上を向いたまま。
呼吸は苦しそうで酸素量は4リットルに増えているとのこと。
父と一緒に1階出口まで来てくれたのは昨日電話をくれた、病院付属のケアマネージャーさんだけでした。
もう聞ける人がケアマネージャーさんしかいませんでした。
「ケアマネージャーさんの経験からで構いません。父のこの状態は、後どのくらいだと思いますか」
「数日…もしかしたら今日かもしれません」
「分かりました。」
これが退院日の、この病院での唯一のやり取り。
なぜ、医師や看護士とこういった話ができなかったのかと今も思います。
父は手配していた救急車型の移送タクシーで家まで搬送してもらいましたが、
本当の戦いはここからでした。
私は県外の妹にすぐ来るよう連絡。
父担当のケアマネージャーさんに連絡し、
父の状態が思ったよりずっと深刻であることを報告。
ケアマネージャーさんは自宅に訪問看護士さんを派遣すると言ってくれました。
移送中、父の容体はどんどん悪化していく。
家に着く頃には肩を使って全身で呼吸している状態。
酸素量は8リットルでも足りない。
同時に到着した酸素屋さんの機械では、酸素を5リットルしか生成できないらしく、急遽もう1台取りに行ってもらうことに。
その間は移送タクシーに積んでいる予備の酸素ボンベを使って呼吸を繋ぐしかない。
酸素ボンベは40分で切れるし、提供してくれた数本は残量がそれぞれ違うので、40分持つかは分からない。残量を目視で確認して頃合いを見ないといけません。
そして酸素ボンベを取り換えるという未知の作業を私がやらなくてはなりませんでした。
もちろん交換方法も丁寧に教えてくれましたけど、私はこの緊急事態を受け止められないままにやるしかありませんでした。
(母もこの状態にもかかわらず父が好きだった魚を焼いて運んでくるし)
その後、酸素屋さんが来て、10リットルの酸素を確保出来るようになると、
父は一番苦しい状態からは脱した様子でした。
なにわともあれ、父はやっと我が家に帰ってきました。
つづく。
※病院には病院専用のケアマネージャーがいます。
それとは別に生活全般を担当してくれる、父担当のケアマネージャーさんがいます。
入退院を繰り返すようになると、この病院側のケアマネさんが、父担当のケアマネさんといろいろ連携を取ってくれます。
