龍馬伝は場面が長崎になりました。
長崎の事はあまり知りませんが、修学旅行も長崎。顧客にも諫早にあったのでよく行きましたが観光まで余裕はありませんでした。
そんな長崎での思い出と言えば、中学の修学旅行。
グラバー邸などの思い出だと思われるでしょう?
実は、中学で始めて他人の女性のまる裸を見た思い出があるのでした。(^^;)
どこでって?
宿泊先の旅館の・・・隣にあった銭湯なのですけど。
窓から屋根瓦を這って通気口から覗くと、湯気の合間に・・裸裸(笑)
そんな裸を見たい人は当然私だけではなくて、後ろを見れば蟻の行列のように風呂屋の屋根をつたって見に来ていました。勿論途中で先生にばれて大変でしたけど。
余談でした。
幕末の長崎の有名な豪商といえば大浦慶。
長崎の油商人の娘として生まれましたが長崎なので外国からの油の輸入が増えて商売に陰りが出てきた。その時に長崎の大火事で商売に大打撃を蒙った。
しかし、不屈の精神でお茶の輸出を始めて大成功をした人なのですね。
輸出量が9トンというから相当なものです。
お茶と言えば宇治茶、静岡茶そして狭山茶ですよね。
お茶は平安時代の末期に臨済宗の栄西が日本に持ち込んだと言われています。
それが宇治茶と狭山茶になり、静岡茶は明治以降と聞いてはいますが・・・。
栄西は九州からお茶を広めたと言われていますので、九州茶というものがあり宇治茶より早かったそうです。
九州茶は蒸し茶ではなくて、釜煎りといわれる製法だったそうです。
余談ですがネットの資料を見ると、お茶の起源については口を合わせたように、「平安時代末期に遣唐使で栄西が持ち帰った」と書かれているのですが、遣唐使は平安初期に菅原道真が廃止しているし、平安末期の中国は「北宋」という国なので「唐」ではないですよね。史実が本当か嘘かイマイチわかりませんが・・・。
お茶自体は遣唐使が行われていた奈良平安朝の頃から輸入されていたはずです。国内で量産を始めたのが平安時代末期だったのではないでしょうか。
鎖国というこの時代にお茶を作らせて海外に輸出するなどと、流石は長崎の商人の家に生まれた人です。
凄いのは幕末の情況で外国相手にお茶と言う本来国産物でもない物を商売として成功させた事だと思います。
これこそ、龍馬が夢見たビジネスというものですよね。
明治に入ると静岡茶に押されて事業が縮小されて来たところに、詐欺師の保証人となってしまい、今で言えば3億円もの借金を作り、しかし死ぬ前に完済してこの世を去ったという波乱万丈の生き方をした人で、語り草になっている人です。
この人が幕末の志士を助けたかどうかは定かではありませんが、2009年に大浦慶の親戚筋の竹谷浩和さん宅(長崎市)から坂本龍馬の写真が見つかったそうです。
だから少なくとも龍馬とは何らかの親交があった可能性が高いですね。
龍馬は写真を名刺代わりに使っていたと聞きますが、そんなに大量に持っているはずもないので、余程憶えてほしい人にしか渡さなかったと思います。
お茶箱に隠れてインドに行ったとか・・・この時代の女性にしては信じられない行動力を持った人なのでしょう。
龍馬はこの人に会った時に魂消た(たまげた)のではないでしょうか。
だって、龍馬より大きな夢を持っていたかもしれませんから・・・。

