幕末の貨幣価値 藩士の給料 |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

【江戸時代の貨幣価値】

 本日の「龍馬伝」で三条実美が徳川幕府に赴いて、幕府から200両を受け取った場面がありました、これが本当かどうかは兎も角、200両ってどれくらいの金額なのでしょうか。 


 日銀のHPによると、天保年間(1840年頃)は、

(ちなみに明治元年は1868年)


 米一石 0.9両

 1両 で 銀75匁(もんめ) 銭6300文(もん)

 金一両 約30万円

 銀一匁 約4000円

 銭一文 約50円

(幕末にかけて値打ちが下がって1両80000円にしかならない時もあったそうです)


 くらいだったそうです。

 そうなると、200両というのは、30万円×200だから、なんと6000万円。

 これは一概にはいえないところもあって・・・というのは工賃や米や衣服などの価値が現在と違うからです。上の目安は、労働賃金を中心に算出されたものです。

 銭は一文と呼んでいましたが、だいたい50円ですか・・・。銭形平次が投げる寛永通宝は一枚50円・・・私は5円くらいかと思っていました。・・・50円は・・投げれません(汗)


 三条実美は帝の勅旨を持っていったのですが、この金額だけでも十分気持ちがよかったでしょうね。(笑)


【江戸時代の給料】

 ところで、江戸時代に侍が受け取る給料には2種類あって、無足(むそく)知行なのですが・・・無足(むそく)は給料みたいなものですよね。しかし、平たく言うと何時首になるかもわからないし、自分の土地もないし格下のイメージも高いです。

 知行70石と言われると、土地(知行地)がもらえるわけです。だから領主になる。

 藩から貰える「知行宛行状」にはちゃんと与えられた知行地の住所が載っています。

「これで家も知行取りになったから安泰だ」

 と喜ぶわけですが、・・・ところがどっこい(笑)

 江戸時代は個々が知行地を管理してそれぞれ好きなだけの租税を取っていると、農民は税金の安いところに逃げたり土地を捨てたり無茶苦茶になってしまいます。だから藩が代行して藩士の土地の面倒を見ていたのです。

 それが何百年も続いたので、藩士は自分の土地が何処にあってどんな土地なのか知らないのです。

 つまり、藩から観ればありえない土地を与えたことにすることも出来たわけで、今の金取引みたいな所があったのです。金を買っても実際に金をくれるわけではないでしょ?

 明治時代になって、廃藩置県が行われて藩士の土地も一旦召し上げられてしまいますが、これが簡単に出来たのは藩士に知行地を管理する意識が低かったからだといわれています。

 


 ちなみに明治2年


 一円 は 現在の 5000円

(明治初期は金1.5gが1円だったそうで今は1g3400円だから5000円くらいでした。 明治中期は0.5gだから1700円くらいでしょうか。)


 お龍は単身東京に行って西郷隆盛に会った時に西郷が

「わしは薩摩に帰るから、あとで必ず何とかするから・・・」

 と、とりあえずお龍に渡したお金は20円。

 ・・・と言うことは、100000円・・・・・?

 

 ・・・何か・・・安いですね(笑)


 お龍はその後横須賀に行って商人と結婚しますが、そうでもしないと生きては行けなかったでしょうね。