平井加尾。
兄の平井収二郎(土佐勤王党)は龍馬と同い年です。
平井家は郷士ではなく、上士の一番下の位になります。なのに兄の収二郎は武市半平太の土佐勤王党に入り、加尾も時代の流れに巻き込まれて行きます。
加尾さんは龍馬の姉の乙女さんと一緒に一弦琴を習っていました。しかも家は1キロほどしか離れていませんので本当の近所付き合いでもあり、龍馬にしてみれば幼馴染になりますね。写真が無いのが残念です。
幼馴染や同級生というのは一種独特の慣れがあると思いませんか。たとえ付き合っていなくても、互いの秘密を知っているというか、それに、一番最初に異性を意識するのではないでしょうか。
兄が同級生の妹を好きになるには結構勇気がいると思います。兄は龍馬には遠慮が無く、龍馬を小さい時から見ているわけですから誤魔化しは聞きませんよね(笑)
また、「竜馬伝」では岩崎弥太郎が加尾さんに憧れていたのを、龍馬は見抜いていてわざとすっとぼけて加尾さんと馴れ馴れしくして、弥太郎がとても悔しがるという微妙な心の動きをうまく表現していたと思います。
私たちも小さなころによく似た事がありませんでしたか?(^^)
龍馬は脱藩する半年前に加尾さんに奇妙な手紙を送っています。この時加尾さんは京都の三条家に輿入れした山内容堂(やまのうちようどう)の妹の友姫(ともひめ)に伴って、三条家に仕えていました。1861年です。
「先づ先づ御無事とぞんじ上候。天下の時勢切迫致し候に付、
一、高マチ袴
一、ブツサキ羽織
一、宗十郎頭巾
外に細き大小一腰各々一ツ、御用意あり度存上候。
九月十三日
坂本龍馬
平井かほどの 」
またまた勝手な解釈(^^)
「まずまずご健勝で有られると思っています。天下のご時世は切迫してきておりますので、
1、高マチ袴(はかま)
1、ブッサキ羽織 (ぶっ裂き羽織)
1、宗十郎頭巾(そうじゅうろうずきん)
他に細めの大小(刀)を各一差しづつ、用意しておくべきだと思っています。
9月13日
坂本龍馬
平井かほどの」
【宗十郎頭巾】
ご存じ鞍馬天狗(^^)
この人がかぶっている頭巾が宗十郎頭巾です。
額の処がひし形になっている頭巾ですね。
もちろん覆面の役割をしているのでしょう。
(NHK 鞍馬天狗より)
【ぶっさき羽織】
下の絵の様に背中の下半分を縫い合わせずに左右に開くようにしてある羽織です。
乗馬や刀を差す時に邪魔にならないようになっています。
(大阪の仕立て屋さんより)
【高マチ袴】
(男性きもの大全より)
股が二股になっている袴ですね。ダボダボのズボンみたいな感じです。これも機動性や乗馬に都合のよい様になっています。
刀は兄に連絡してうまく調達したみたいですね。
刀を差して馬に乗って駆ける鞍馬天狗・・・じゃなくってお加尾さん。
脱藩の半年前なら、竜馬は脱藩のことも意識していたのでは・・・。加尾さんが京都だから土佐からみれば外国ですよね。今で言えば国外逃亡。
そんなときは、外国に居る女性の事を思うものです。脱藩して互いに思いあう人が外国にいたら・・・私だったら連絡付けて「一緒に頑張ろう」とか何とか言って声をかけますよ、そりゃ。
龍馬は、と言うかそんなときの男は勝手でエエカゲンではありますけどね(笑)。
そう思ったら、龍馬は加尾さんと駆け落ちみたいなことを考えていたのではないでしょうか?
ところが、半年後に龍馬が脱藩した時、収二郎はさすがは同い年。龍馬の心中を見抜いてか、
「坂本龍馬が昨日24日脱藩した。きっとそちらに行くと思うが、たとえ龍馬からどのような事を相談されても決して承知していけません。もとより龍馬は人物ではあるが、書物を読まないので時には間違えることもある」
という手紙を妹に送っています。書物を読まないのでって・・・・ここがおかしいですね。
龍馬は釘を刺されて「打つ手無し」だったのか、日々が忙し過ぎたのか、加尾さんと会えることは無かったそうです。
兄の収二郎が山内容堂から切腹を仰せつかれた時も、加尾さんへの連絡先が定かではなかったのでしょうか、姉の乙女ねえさんに宛てた手紙に
「平井の収二郎ハ誠にむごいむごい・・・」
(平井の収二郎は本当に惨い惨い・・・)
「いもふとおかおがなげきいか斗か」
(妹のお加尾の嘆きはいかほどのものだろう)
と書いてあります。
もし、妹とさほど親しくはなかったなら加尾さんの事までは書かないでしょう。龍馬にとって加尾さんは特別な意識を持っていた女性だったことは間違いないと感じます。(付き合えなかったとしても です)
人生にはそれぞれの生きる道があって、涙を呑んで大切な人の行く先を見送る
みなさんもそんな事を経験したことがありませんでしたか。私はありました・・・・うん・・・そんなことがあったなぁ・・・。なんちゃって、・・・私の事などどうでもいいですね![]()
加尾さんは結局晩婚で29歳で4つ年下の西尾直次郎志澄という、後の警視総監と結婚して、自身は自由民権運動に参加しながら子供も産んで平井家を再興させて、72歳で亡くなりました。
晩年に書かれた10枚ばかりの「涙痕録(るいこんろく)」にこんな下りがあります。
「再び龍馬に対面する期なく止みしハ、女史の一生涯遺憾に思ふ所なるべし」
(再び龍馬に出会う機会が無かったのは、私の一生涯遺憾に思う処でございます)
平井加尾という人は気丈な人ですね。結果を出して行くタイプの人の様に思います。
彼女は時代に負けずに彼女なりに幸せな人生を送った事でしょう、しかしだからこそ龍馬との事がうまく行かなくて(本当は龍馬と一緒に生きたかった・・・) それが人生の心残りだったのでしょうね。


