人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

---------2014/7/13--------------------------------------

NHK大河「軍師官兵衛」では本日、本能寺の変がありました。

ドラマでの信長は炎の中で首を切って亡くなりましたね。

その時に、信長が好きだった敦盛の一説を謳っていました。

有名なものですが、私が2012年に一度纏めたものがあるので

再掲しました。


---------2012/2/23--------------------------------------

「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか」
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

 誰もが知っているでしょうね。

 織田信長が好きで良く舞ったと言われる幸若舞(こうわかまい)敦盛(あつもり)の一節。



 けれども誤解してはいけません。人生が50年なのではなくて人間の50年は・・・という意味です。


 敦盛という人は平敦盛で平家物語に登場する人物です。有名な平清盛の孫ですが、絶世の美男子で当時18歳だったそうです。

 1184年の一の谷の戦いで、劣勢の平敦盛一行が海に逃げようとした所、当時43歳の熊谷 直実(くまがい なおざね)という武士が

「こらー!何やっちょらやぁー!敵に背中を見せよらー卑怯やろー!」

 っと大阪河内弁で言ったかどうかは解りませんが馬上から叫んだ所、一人の若武者が踵を返して突進してきたそうな。その青年が平敦盛です。

 本当は一の谷という所は、みなさんご存知の明石海峡大橋の近くですから、

「何しょんや!、敵に背中を見せとおやないか!卑怯やろ、戻ってこんかい!」・・・かな?あせる

 冗談はやめて

「やーやー我こそは熊谷直実と申すものなりー、そこに逃げおる若武者よ、敵に背を向け逃げるとは卑怯千万。末代までの恥と心得よー」

 と言う感じで、若い敦盛は「ナニッ!」っという感じだったでしょうね。

 熊谷 直実はその男を馬から引きずり落として兜を剥ぎ取って見ると、自分の息子と同じ様な歳で、なんと驚くほどの美男子だったそうです。


(これは・・・殺すにはもったいない)

 と思ったけれど、後ろからどんどんやってくる味方に殺されるならわしが首を取ろう、と意を決して首を跳ねたらしいです。

この物語「敦盛」の中で詠われた一節が「人間五十年・・・」で直実さんが過去を振り返って言うところ。



 私がこの言葉を知ったのは司馬遼太郎さんの小説でした。しかし妙に印象に残る言葉ですよね。

【信長公記 桶狭間の戦い】
此の時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて卸出陣なさる。

 人生の50年をもうすぐ経験したての私は、思い起こせばやっぱり色んな事がありましたが、アッと言う間だったと言えば…確かにそうですね。

 病気・倒産・離婚・死別…良くない事の方が多かったですが、のど元過ぎれば何とやら……というのでしょうか。今から思えば確かに「夢幻の如く」ですね。

 しかし人生はまだあるので、過去を振り返るのは……どうでしょう、死ぬ前でいいのじゃないかと思っているのですが。


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 下天というのは、一応天上界の事ですが天上でも一番下に位置するらしく、人間と同じく欲界の中に生きているのだそうです。

 人間の50年なんて下天の一日に過ぎない。一晩の夢のようなものだ。ということでしょう。

 下天といえば、大阪の四天王寺にいる四体の四天王さん達がそうらしく、下天にいても地獄にまで落ちることもあるのだそうです。


 孔子の論語

「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」

十五で勉強に目覚めて

三十で自分が置かれた場所で、やってゆくべきことを認識して、腹をくくって歩み始め

四十になって迷うことなく。

五十になって自分の天命が何であったかを知る。

六十になってやっと人の言うことを素直に聞くことが出来るようになった。

そして七十になってやっと自分の思うことを道をはずさないように振舞うようになれた。


 「四十にして迷わず」という言葉があります。


 孔子もやはり50歳で天命を知るそうです。

 50歳になった時、過去を振り返ってみれば「夢幻の様」に感じ、自分の人生はこんな人生だったのか・・・と思ったのではないでしょうか。

 逆に考えると50歳に満たない人は、後ろを振り返る事無く(^^;)一生懸命に生きて行けばいいのかもしれません。

 みなさんも学生の時や若い時に辛くて辛くて、死ぬというより消えてしまいたいと思ったことはあると思います。私はそんな時に散々悩んだあげく、

(30歳まで生きよう。必死で生きて死んでやる)

なんて思って生きていたと思います。

 しかし30歳になった時にそれを思い起こして、(今死ぬのはもったいないな…したい事一杯あるのに…)と思って生きてしまいました(笑)その後は50歳になったら(50まで生きてきたんだ、人間なんか100年も生きれない訳だから、もっと人生楽しまなあかんな)なんて思っているのでしょうか。


 これからの私の人生


 ビートたけしさんの「アキレスと亀」 のように有名になろうと(何かを得ようと)一生懸命もがいてもがいて、しかし最後は疲れ果ててゴミの空き缶に20万円と値札をつけて道端でボーッと座っているのかなぁ・・・


追伸


 こうやって書いていましたがとうとう50歳を超えました。

 

 織田信長より長く生きてしまいました。


子の曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る
  六十にして耳従う。
  七十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。

  わたしは十五歳で学問に志し、
  三十になって自分で生きる道を歩み始め、
  四十になってあれこれと迷わず、
  五十になって天命(人間の力を超えた運命)を悟る
  六十になって人の言葉をすなおに聞けるようになる、
  七十になって思うままにふるまっても、
  道をはずさないようになった。


 五十にして天命を知る。

 なんだかわかるような気がします。

 過去を振り返れば『夢幻のよう』でもあったし、未来を見れば自分の力が大体どんなものだったかがはっきりしてくるし、病気や体力の衰え記憶力の衰えを感じて自分を知りながら生きてゆかなければならないので、大きかったり重い運命を背負った人は体など構わずに突き進むしかなくなるだろうし、そうでない人は衰えを計算して未来を見なければいけなくなるのでどちらにしても『天命』を感じる年ですね。


 若いころにこの年の人間はどう映っていたでしょう。というか若い人から見れば、50歳はどのように映るのでしょうね。

 まだ元気な偉い人。

 妙に自信を無くして老けている人

 ドスケベーのハゲおやじ

 わかったような悟ったような安ペテン師

 自分の年を理解してしっかり歩んでいる人・・・


 こんな感じだったかなぁ。

 どうなのでしょうね。私が二十歳くらいの時はこの年の人間を見て尊敬できる人とどうでもいい人にはっきりと分かれていたように思います。意外と若い人の気持ちも汲みとれる感じだったのではないでしょうか。70歳くらいになると何だか世代ずれを感じました。本当はこれくらいの年の人が上を見て若者を見て、未来のために出来ることを一生懸命頑張らないとダメな年かもしれません。


 そうは感じますが、私の場合は子供の事、病気の克服、人生の立て直しそして70歳にされてしまいそうな年金を考えるとあと20年も働くわけだから(それどころか年金無くなるかもしれない)、悠長に若者の顔色を見ている余裕はありません。50歳では天命を悟る余裕がなくなってきました。だから若い人は若い人で頑張ってください。!! とはいえ、私に出来ることなら言って行きたいし若者のためにやってあげられることはやって行こうと思っています。