女性と踊りと性(2) |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

 奈良時代や平安時代はどんな感じだったか


 今のように何でもある感覚では見れないけど、平安時代初期ならば京都には帝が住む大内裏があって、他はどうなっていたのだろう。

 巫女さんの話の前に平安京都のイメージを作ります。

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 オレンジの格子部分が平安京

 その前に京都の寺や神社が何時建ったのか簡単に見ておきます。


【紀元前】

 下鴨神社     紀元前90年

【奈良時代】

 広隆寺       603 本尊は聖徳太子
 八坂神社      656
 上賀茂神社    678

 鞍馬寺       770
 清水寺       778
【平安時代】 794-1185
 東寺        796 教王護国寺 空海 平安京で最初に建った寺
 西寺        796 平安京で最初に建った寺
 京都御所     元の土御門東洞院内裏自体は平安時代初期

 石清水八幡宮  860
 醍醐寺       874 秀吉の花見
 大覚寺       876嵯峨天皇の離宮だから平安初期 空海が建てた。
 宇治平等院    800年後半
         (光源氏のモデル源融(みなもと の とおる)の別荘。
          宇多天皇に渡り、源重信に渡り、998年藤原道長の

          別荘「宇治殿」になり、その子の藤原頼通が1052年

          に寺院に変更した。)
 北野天満宮   947 明治以降は北野神社、戦後に再び北野天満宮
         (970 初めての祇園祭)
 羅城門      980 暴風雨で倒壊
         (988 初めて京都と呼ぶようになる)

         (それまでは「たいらのみやこ」)
 聖護院    1090
【鎌倉時代】 1192

 知恩院    1175 浄土宗 法然上人
 建仁寺     1200
 西本願寺   1272

【室町時代】 1336年 - 1573年

 天竜寺    1345
 宝鏡寺    1368 人形の寺
 金閣寺   鹿苑寺(ろくおんじ)のこと足利義満 1397
 竜安寺   石庭で有名。1450 応仁の乱後 細川勝元
 東本願寺  1471
 銀閣寺    慈照寺(じしょうじ)のこと 

         設立者足利義政 勧請開山夢想礎石 1490
【明治時代】

 平安神宮  1895(明治28年)


 以外なことは、平安時代に京都市内で建った寺は東寺と西寺だけです。

 奈良の寺が京都に進出するのを防ぐために寺はこの2寺以外一切建てさせませんでした。

 (もちろん郊外には寺は建っている)


 平安時代には、清水寺八坂神社、そして東映太秦映画村のとなりにある広隆寺がありました。

 上賀茂神社、下鴨神社は古い神社なので鴨川添いに建っています。

 神社は平安時代初中期に建ちました。

 岩清水八幡宮は京都から20キロほど大阪方面に下ったところに建ちます。

 北野天満宮は京都の北側。



 【わたしのイメージ】

 京都の中央は幅84mの朱雀大路があり、その両側は土壁が続いていました。

 平安中期ごろから、この通りは多くの牛馬が飼いならされていて人より牛馬が多かったと聞きます。

 通りはもちろん砂利で大きな水溜りがたくさんありボコボコして埃っぽかったでしょう。

 高級民家は主に朱雀大路より東側。

 西側は日増しに空き家が増えてゆき、平安中期以降ゴーストタウン化してゆきます。

 鴨川よりも東にはいわゆる低所得者の家が立ち並び、その中に清水寺や八坂神社がありました。

 今のような祇園はなくて、草むらと畑の間に藁葺きの民家が建っていたと思います。


 北野天満宮より北は蓮台野と言って草むらの奥に墓地が広がっていました。金閣寺や竜安寺はありません。

 北西に向けて丹波や山陰に抜ける道があり、その途中に嵐山や嵯峨野があり、このあたりは帝の別荘のようになっていました。

 南は、平安中期に羅城門が壊れて荒れ果てていましたが、今の近鉄や京阪電鉄に沿って道が開けて宇治のあたりはご存知の平等院があり貴族の別荘になっていました。

 それより南に岩清水八幡宮があったので鴨川沿いは結構人の行き来があったはずです。


 こんな中で平安神宮、岩清水八幡宮、北野天満宮、上加茂神社、下鴨神社があり、そこに巫女さんが居たはずです、しかし、いわゆる巫女さんのOBや神社を離れて生活する巫女さんも沢山いたはずです。

 そんな巫女さんがどのように生活していたのでしょう。


(続く)