今回から
・大江山ってどんな山
・妖怪 土蜘蛛の逸話
・妖怪 酒呑童子(しゅてんどうじ)の話
を連載いたします。お時間があればお付き合いくださいませ。
「大江山いく野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立」
小倉百人一首にも登場する大江山。
「いく野」は行く野、生野、幾野。「ふみも見ず」は踏みも見ず、文も見ずが掛かっているのでしょうか。
京都から天の橋立(宮津)に抜ける直前にある標高800mほどの峠があるところが大江山です。
(天の橋立)
(大江山)
小倉百人一首といえば鎌倉時代の歌人藤原定家が天智天皇の頃から鎌倉時代までの和歌を集めたもので、京都の嵯峨野にある小倉山にある山荘に渡すために作られた和歌集です。したがってこの時代には既に大江山が登場していて、昔は有名な山だったのでしょうね。
和歌にもあるように、京都の北部(宮津や舞鶴、そこから鳥取や島根のおそらく大山まで)から京都にかけては、昔から朝鮮半島経由で職人や移民が沢山訪れて、また日本海の海産物を運ぶ馬借(ばしゃく)という人々が頻繁に行き来していたと思われます。そのなかではもっとも通行には大変な場所だったのでしょう。
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この山には恐らく山賊の類が住み着いていた。なぜ住み着いたかというと、もちろん通行人から者を略奪するには格好の場所でもありましたが、実はこの山は金属鉱山だったのです。
古代のことはわかりませんが朝鮮半島からの渡来人の、特に職人の多くがこの山の近くに住み着いたのは、この山と関係がありそうです。
実は、この辺りは現在こそひっそりとしていますが、弥生時代から鎌倉室町時代まではかなりの交通要所だったみたいです。ここ丹波丹後には1000を越える古墳が発見されていることでもそれがわかります。例えば、私市円山古墳。西宮から北陸に抜ける舞鶴自動車道路は、この古墳の中をくぐります。
大江山は、第二次世界大戦の時などはニッケル鉱山として兵器を作るのにどんどん採掘されていました。そのころ奴隷のように使われた中国人などが今でも訴訟中だったとおもいます。(地裁で2100万の賠償決定、高裁では責任を負わず、最高裁では無罪という変な判決だったはず)
そんな山が大江山。
(土蜘蛛を倒す源頼光)
こんな山だから、古来から妖怪伝説が生まれたのでしょう。
鬼や土蜘蛛というのは、今から連載する大江山だけに出てくるものでは、もちろんありません。昔、各地方の出来事などを記した風土記というものがありましたよね、この中には各地方の鬼や土蜘蛛がたくさん出てくるそうです。どうも、鬼にしても土蜘蛛にしても、公家や天皇、朝廷に逆らうというか服従してない者のなかで豪傑と思われている者や得体の定かでない者のことを、こう呼ばわっていたらしいです。
それが、其の内、得体の知れない者、何をするかわからない者から人々の創造が飛躍して行って、とうとう妖怪になってしまいました。
この大江山から丹後半島にかけては、京都の都に対して比較的近くて格好の「隠れ家」にもなっていました。大陸から来た人々は、金鉱が取れ、海の幸山の幸が豊富で、朝廷からもわかりにくいこの場所が格好の隠れ家だったのでしょう、戦国時代のキリシタンである細川忠興の妻である細川ガラシャ(明智光秀の娘でもあります。だから本名は 明智 珠)が丹後の味土野(みとの)に隠れた場所もこの近くです。
しかし、鬼や土蜘蛛から見ると、朝廷が出来るうんと前からその地で平和に暮らしていて、その地の文化を守ってきた人々のわけですから、そういうところの矛盾や怒りが、この大江山の話の中にも出てきます。
大江山はたかだか標高800mの山ですが、11月になると見事な雲海が見れる山でもあります。
(SO-NETのブロガー「ハカセ」さんの写真
を拝借しました。あまりに見事な写真です、サイトに行って見てみてください。)
この山には天の岩戸というところがあり、そこには、今では珍しいガマガエルが数百匹ほど住んでいます。カエルは後ろ足でピョンと飛びますよね。ガマガエルは犬や猫のように四本の足を交互に出して歩きます。見ていると変なカエルです(笑)
こんな神秘的な山でもある大江山。数々の逸話があってもおかしくは無いですね。
第二話にて紹介しますが、どんな話があったのかを調べてみます。





