
この写真、見えにくくてすいません。
大阪の町は大古に難波宮が栄えたあとは、室町末期まで、生玉村(いくたまむら)と呼ばれていた、ただの村落で、石ころの丘でした。
大阪城が出来たときに、沢山の人々が集まりました。
人が集まると、交通道路や商店が立ち並び活気がでてきます。
しかし、トイレや炊事などはどうしていたのでしょうか。
下水道は、実は大阪城築城のときに、ちゃんと設計されていたんです。
写真は大阪の谷町四丁目、大阪城から一キロのところにある豊臣末期につくられた下水道です。
下の方に組まれている石垣がそうです。
こんなところまで考えられていたとは・、驚きでした。
この下水道、「太閤下水」と呼ばれていて、なんと、今でも大阪市の管理で現役で使われています。
二度驚き(^ー^)
