精神科医と法律家
実は、「リーマス中止による奇跡的病状安定についての考察」というエントリを書いていたのであるが、前置きの部分が長くなりすぎ、まとまらなくなったため、このパラグラフだけ独立させることにした。われながら、冗長すぎて話にならん。そういうこともあり、話が急に始まっているように見えるのは容赦願いたい。
(前略)
テグレトールは強烈な中毒疹が出現しかねないので、慎重になる医師も多い。何も考えず、若い女性にいきなりテグレトールを処方し、Stevens-Johnson症候群でも生じたりしたら後悔だけでは済まない。それに対し、リボトリールは他の気分安定化薬に比べ服用しやすい薬物である。
過去の医療訴訟で、アレビアチンの静注でStevens-Johnson症候群を生じ、結果的にその患者さんは失明したというケースがあった。この訴訟の1つの争点で、「なぜアレビアチンではなく、安全なデパケンRを使わなかったのか?」というのがあったという。アレビアチンとデパケンRではてんかん発作型への適応が異なるので、この争点も医学的には変なものだとは思うが、最終的にはこのアレビアチン選択の部分は医師の責任は問われなかったらしい。なぜなら、その時点で、その患者さんは意識がなく注射でしか治療が難しかったからである。デパケンRは注射剤は存在しないので、その原告の主張は無理があった。
問題になったのは医師の告知の有無であった。つまり、アレビアチンには稀にStevens-Johnson症候群のような重篤な副作用が出現しうるということを家族に説明していなかったことに対し責任を問われたのである。(その説明があったなら、家族は治療を断っていたかもしれないということ)
この司法判断は確かにその通りなのだが、すこし型にとらわれていると言うか、判断が内科や外科的だし、実際の精神科臨床に合っていないように僕には見える。
精神科で告知の問題が他科に比べ難しいのは、もし薬の副作用について、すべて説明しないと処方できないなら、「精神科の薬を飲む」と言う人が全然いなくなるようなところがあるから。精神科の薬はごく稀な副作用まですべて告知し始めると、どのような薬でもびっくりするような副作用が存在しているからだ。このように、稀ではあるが重篤な副作用があることは別に向精神薬だけに限らない。しかし、精神科と他科の比較で重要な点は、それでもなお、服薬して治療したいと言う患者さんのモチベーションの差なんだと思う。これは精神科の特殊性と言うか、本人の病識の程度を考慮していない考え方で、僕は精神科医の立場から法律家の言い分に非常に不満がある。
あまりに告知に杓子定規に、薬効、副作用すべて説明し、もし本人が服用しない場合、それに沿うべきと言うなら、自殺やいろいろな犯罪を含め事故が今より多発するだろう。法律家は、結果的にその人が自殺したとか、あるいは触法事件を起こしても自分には直接関係がないので、そういう言い方なんだろうと僕は思う。
法律家は、患者さん本人に「統合失調症」とか「境界型人格障害」と告知した場合、それだけで自殺しかねない人たちがいるのを考慮していない。
精神科医はその患者さんの生命と名誉を守らなくてはならないので、すべてを説明して本人が断ったからそれで良いと簡単には片付けられない。その証拠に、精神科では本人の意思に沿わない措置入院や医療保護入院などの入院形態が認められている。この独特な精神科医療行政と法律家の主張する精神科の告知義務は少しかみ合っていないように感じている。
つまり、「自殺や犯罪は本人が判断してそうしたのだから問題がない」ということに法律家の主張は近い。ここが精神医学的にはアマチュアなのである。
一般の犯罪の裁判でも、死刑の判決が例えば地方裁判所で出た後、本人が控訴しないケースが稀にある。これはちょっとおかしいのである。死刑は、日本の場合、それを超える判決はない。だから、たとえ冤罪でもなんでもないとしても、その判決が覆る可能性を放棄するという精神状態は正常とは言い難いのである。その被告人は「他殺的自殺」を望んでいるのかもしれない。その心理状態の異常性に注意を向けるべきだ。
ある時、ずっと以前だが、被告人が「死刑」に対する控訴をしないと言うのにもかかわらず、弁護士が自らの判断で控訴したことがあった。(上告だったかも?)これは弁護士として非常に正しい行為と思った。あの弁護士はもう名前も忘れてしまったが、素晴らしい判断であった。もっと言えば、被告本人の治療をすべきであるのだが。
このような死刑に対し控訴や上告をしないことは、世間一般では問題にならないどころか、むしろ美談的な感覚でとらえられていることにかなり異和感を感じる。死刑判決には最高裁まで戦うべきなのである。これこそ、普通の人間の感覚だと思う。(死刑を肯定または否定するという議論ではないことに注意してほしい)
被告人は公判中にうつ状態に陥ることがある。希死念慮や厭世観が強ければ、死刑判決は渡りに船なのである。これが本来の本人の判断ではないのは「初めにお読みください 」のテーマの「なぜ自殺が良くないのか」のエントリを読んでみるとわかる。先に述べた自らの判断で控訴した弁護士は、色々な面で被告人を弁護しようとしていたと言えた。なぜなら死刑判決が出たとしても、最高裁まで行けば、無期懲役に減刑されることはよくあることだからだ。うつ状態は治療により改善しやすい精神症状というのももちろんある。
僕は法律家は統合失調症に関してはワケがわからないと思うのか、責任能力について精神科医の助言を受け入れやすいが、それ以外の疾患ではあまり理解していないといつも思う。特に重いうつ状態や認知症による犯罪である。(細かいことを言えば、この2つの理解のされなさには微妙に相違があるのであるが)
最近でも、ある殺人事件を起こした女性が精神鑑定で、検察、被告人の鑑定証人いずれも「心神喪失、責任能力なし」の判断が出ているのに、それを完全に無視した判決になっているものがあった。まあ、そうするくらいなら、最初から精神鑑定などするなって。あれはどうみても精神科専門医を侮辱している。いくつか異なる鑑定結果が出て、法律家が自分の判断で鑑定結果を選択しているのなら話がわかるが、いずれも同じ「心神喪失、責任能力なし」という鑑定結果が出ているのに、それを否定するその科学的、医学的根拠を聞きたい。
法律家が万能なら、彼らだけで刑を決めたら良いと思う。
例えば前方型認知症の場合、たいして認知症には見えない時期に違法行為が出現することがある。前方型認知症では、ある一定の時刻に近所に散歩に出かけたり、車でドライブに行くことがみられる。この時間的な正確さというか一定さは、あたかもドイツ兵の歩哨のようである。
この散歩だが、徘徊とは言わず、周徊と言われることもある。英語ではローミング(roaming)であるが、この用語はよくコンピュータの周辺機器のマニュアルに出てくる。なぜ周徊なのかというとコースが常に一定しているからであろう。ドイツ兵のドイツ兵たる所以である。アルツハイマー型認知症の人は道に迷って家に帰って来られなくなるが、前方型認知症の人はそうならない。
この前方型認知症の場合、発病の初期にはドライブも可能ではあるが、信号無視も平気なので大事故も起こりうる。実際、老人のバイパスや高速道路の逆走が時々新聞沙汰になるが、あの人たちの一部はこの疾患の可能性がある。
前方型認知症の人たちは、ローミング途上、近所の家に寄り庭の野菜を引き抜いて持って行ったり、あるいは行きつけのお店で万引きしたりする。捕まった時も、すいませんでした、という気持ちはゼロで平然としているので、警察官や検事さんの心証も極めて悪い。
しかも器質性疾患というか既に認知症なので、再犯もすぐに起こるのであった。このような場合、最初の犯行は初犯なのでまあ大目に見られるというか、たいした問題にされないが、何度も同じような万引きで捕まるので、遂には有罪になる。
普通、このような初老期の人で、しかも過去に犯罪歴もなく、それまで社会的地位の高い人がそんな犯罪を頻繁に起こし始めたら、ひょっとしたらこの人はおかしいのでは?と思わないと。
犯罪を裁くプロフェッショナルならなおさら。
確かに社会的地位の高い人も万引きする人はいるが、このような簡単に捕まるような稚拙な犯行なら、もっと若い頃、とうの昔に捕まっているって。確かに認知症なのだが、このような前方型の場合、長谷川式簡易知能スケールが満点だったりするため認知症とは思われないし、周囲からもわかりにくいのである。
一般に、ある軽微な犯行があって被疑者が精神障害の疑いがある場合、簡易鑑定が行われるが、実施するかどうかの判断は検事さんなど素人の人たちなのである。たまたま精神科に通院しているような人なら、一応診て貰おうという感じになるが、このような一見わかりにくいタイプの認知症で、しかも未治療の人たちは簡易鑑定を実施する流れにならない。検事さんも話があまりに通じないほどの精神症状があるなら、自らの判断で簡易鑑定を依頼するが、コミュニケーション的にそこまで異常性が感じられないケースもあるのである。特に素人目には。
かくして、万引き、窃盗を繰り返した前方型認知症の人は刑務所に行くことになる。刑務所に行く理由の1つは、前方型認知症の人はわりあい年齢が若くで発病しているからである。若い世代の認知症を集めると統計的にも前方型認知症が相対的に増えることが知られている。(かなり年寄りなら刑務所生活は耐えられないのもあり、もう少し違った処遇も考慮される)
これは最も傷つくのは本人とその家族の名誉であろう。実際、それまで社会的にも成功を収め、その都市の名士だった人がこうなることもありうるのである。まさしく、面目丸つぶれというか、大変な恥である。
唯一、弁護人や国選弁護人などが彼を救う可能性が残るが、彼らも忙しい。結局、本来、刑務所は矯正施設のはずだが、このタイプの認知症の矯正は無理なので、出所直後にすぐ再犯が起こる。前方型認知症は極めて治療が困難な認知症の1つなのである。こうして警察署、検察庁というか、最初に戻るのであった。
遂に、素人の検事もこの人はおかしいのでは?と気付く。結局、精神疾患を発見するのは法律家だったりするのである。
人生の晩年に、こんな疾患で、しかも誰にも発見されず刑務所に行くなんて最悪だと思うよ。本人の過失でもなんでもないのに・・
ここまで長々と書いてきた理由の1つは、法律家が法律には専門家であったとしても、精神医学的にはしょせん素人と言うのを指摘したいからだ。このエントリで出てきた前方型認知症と極めて似たような患者さんの簡易鑑定をしたことがあるのだが、検事さんは全く普通の人と思っていた。広い意味の認知症とは全然気付いていなかったのである。
検事にしろ弁護士にしろ、人権を守るとか、正義を貫くとかそういう理念があるのなら、まず専門家の意見も謙虚に聞くことだ。
最近、精神鑑定書不採用による有罪を許さない最高裁判決が出ている。(参考)
(前略)
テグレトールは強烈な中毒疹が出現しかねないので、慎重になる医師も多い。何も考えず、若い女性にいきなりテグレトールを処方し、Stevens-Johnson症候群でも生じたりしたら後悔だけでは済まない。それに対し、リボトリールは他の気分安定化薬に比べ服用しやすい薬物である。
過去の医療訴訟で、アレビアチンの静注でStevens-Johnson症候群を生じ、結果的にその患者さんは失明したというケースがあった。この訴訟の1つの争点で、「なぜアレビアチンではなく、安全なデパケンRを使わなかったのか?」というのがあったという。アレビアチンとデパケンRではてんかん発作型への適応が異なるので、この争点も医学的には変なものだとは思うが、最終的にはこのアレビアチン選択の部分は医師の責任は問われなかったらしい。なぜなら、その時点で、その患者さんは意識がなく注射でしか治療が難しかったからである。デパケンRは注射剤は存在しないので、その原告の主張は無理があった。
問題になったのは医師の告知の有無であった。つまり、アレビアチンには稀にStevens-Johnson症候群のような重篤な副作用が出現しうるということを家族に説明していなかったことに対し責任を問われたのである。(その説明があったなら、家族は治療を断っていたかもしれないということ)
この司法判断は確かにその通りなのだが、すこし型にとらわれていると言うか、判断が内科や外科的だし、実際の精神科臨床に合っていないように僕には見える。
精神科で告知の問題が他科に比べ難しいのは、もし薬の副作用について、すべて説明しないと処方できないなら、「精神科の薬を飲む」と言う人が全然いなくなるようなところがあるから。精神科の薬はごく稀な副作用まですべて告知し始めると、どのような薬でもびっくりするような副作用が存在しているからだ。このように、稀ではあるが重篤な副作用があることは別に向精神薬だけに限らない。しかし、精神科と他科の比較で重要な点は、それでもなお、服薬して治療したいと言う患者さんのモチベーションの差なんだと思う。これは精神科の特殊性と言うか、本人の病識の程度を考慮していない考え方で、僕は精神科医の立場から法律家の言い分に非常に不満がある。
あまりに告知に杓子定規に、薬効、副作用すべて説明し、もし本人が服用しない場合、それに沿うべきと言うなら、自殺やいろいろな犯罪を含め事故が今より多発するだろう。法律家は、結果的にその人が自殺したとか、あるいは触法事件を起こしても自分には直接関係がないので、そういう言い方なんだろうと僕は思う。
法律家は、患者さん本人に「統合失調症」とか「境界型人格障害」と告知した場合、それだけで自殺しかねない人たちがいるのを考慮していない。
精神科医はその患者さんの生命と名誉を守らなくてはならないので、すべてを説明して本人が断ったからそれで良いと簡単には片付けられない。その証拠に、精神科では本人の意思に沿わない措置入院や医療保護入院などの入院形態が認められている。この独特な精神科医療行政と法律家の主張する精神科の告知義務は少しかみ合っていないように感じている。
つまり、「自殺や犯罪は本人が判断してそうしたのだから問題がない」ということに法律家の主張は近い。ここが精神医学的にはアマチュアなのである。
一般の犯罪の裁判でも、死刑の判決が例えば地方裁判所で出た後、本人が控訴しないケースが稀にある。これはちょっとおかしいのである。死刑は、日本の場合、それを超える判決はない。だから、たとえ冤罪でもなんでもないとしても、その判決が覆る可能性を放棄するという精神状態は正常とは言い難いのである。その被告人は「他殺的自殺」を望んでいるのかもしれない。その心理状態の異常性に注意を向けるべきだ。
ある時、ずっと以前だが、被告人が「死刑」に対する控訴をしないと言うのにもかかわらず、弁護士が自らの判断で控訴したことがあった。(上告だったかも?)これは弁護士として非常に正しい行為と思った。あの弁護士はもう名前も忘れてしまったが、素晴らしい判断であった。もっと言えば、被告本人の治療をすべきであるのだが。
このような死刑に対し控訴や上告をしないことは、世間一般では問題にならないどころか、むしろ美談的な感覚でとらえられていることにかなり異和感を感じる。死刑判決には最高裁まで戦うべきなのである。これこそ、普通の人間の感覚だと思う。(死刑を肯定または否定するという議論ではないことに注意してほしい)
被告人は公判中にうつ状態に陥ることがある。希死念慮や厭世観が強ければ、死刑判決は渡りに船なのである。これが本来の本人の判断ではないのは「初めにお読みください 」のテーマの「なぜ自殺が良くないのか」のエントリを読んでみるとわかる。先に述べた自らの判断で控訴した弁護士は、色々な面で被告人を弁護しようとしていたと言えた。なぜなら死刑判決が出たとしても、最高裁まで行けば、無期懲役に減刑されることはよくあることだからだ。うつ状態は治療により改善しやすい精神症状というのももちろんある。
僕は法律家は統合失調症に関してはワケがわからないと思うのか、責任能力について精神科医の助言を受け入れやすいが、それ以外の疾患ではあまり理解していないといつも思う。特に重いうつ状態や認知症による犯罪である。(細かいことを言えば、この2つの理解のされなさには微妙に相違があるのであるが)
最近でも、ある殺人事件を起こした女性が精神鑑定で、検察、被告人の鑑定証人いずれも「心神喪失、責任能力なし」の判断が出ているのに、それを完全に無視した判決になっているものがあった。まあ、そうするくらいなら、最初から精神鑑定などするなって。あれはどうみても精神科専門医を侮辱している。いくつか異なる鑑定結果が出て、法律家が自分の判断で鑑定結果を選択しているのなら話がわかるが、いずれも同じ「心神喪失、責任能力なし」という鑑定結果が出ているのに、それを否定するその科学的、医学的根拠を聞きたい。
法律家が万能なら、彼らだけで刑を決めたら良いと思う。
例えば前方型認知症の場合、たいして認知症には見えない時期に違法行為が出現することがある。前方型認知症では、ある一定の時刻に近所に散歩に出かけたり、車でドライブに行くことがみられる。この時間的な正確さというか一定さは、あたかもドイツ兵の歩哨のようである。
この散歩だが、徘徊とは言わず、周徊と言われることもある。英語ではローミング(roaming)であるが、この用語はよくコンピュータの周辺機器のマニュアルに出てくる。なぜ周徊なのかというとコースが常に一定しているからであろう。ドイツ兵のドイツ兵たる所以である。アルツハイマー型認知症の人は道に迷って家に帰って来られなくなるが、前方型認知症の人はそうならない。
この前方型認知症の場合、発病の初期にはドライブも可能ではあるが、信号無視も平気なので大事故も起こりうる。実際、老人のバイパスや高速道路の逆走が時々新聞沙汰になるが、あの人たちの一部はこの疾患の可能性がある。
前方型認知症の人たちは、ローミング途上、近所の家に寄り庭の野菜を引き抜いて持って行ったり、あるいは行きつけのお店で万引きしたりする。捕まった時も、すいませんでした、という気持ちはゼロで平然としているので、警察官や検事さんの心証も極めて悪い。
しかも器質性疾患というか既に認知症なので、再犯もすぐに起こるのであった。このような場合、最初の犯行は初犯なのでまあ大目に見られるというか、たいした問題にされないが、何度も同じような万引きで捕まるので、遂には有罪になる。
普通、このような初老期の人で、しかも過去に犯罪歴もなく、それまで社会的地位の高い人がそんな犯罪を頻繁に起こし始めたら、ひょっとしたらこの人はおかしいのでは?と思わないと。
犯罪を裁くプロフェッショナルならなおさら。
確かに社会的地位の高い人も万引きする人はいるが、このような簡単に捕まるような稚拙な犯行なら、もっと若い頃、とうの昔に捕まっているって。確かに認知症なのだが、このような前方型の場合、長谷川式簡易知能スケールが満点だったりするため認知症とは思われないし、周囲からもわかりにくいのである。
一般に、ある軽微な犯行があって被疑者が精神障害の疑いがある場合、簡易鑑定が行われるが、実施するかどうかの判断は検事さんなど素人の人たちなのである。たまたま精神科に通院しているような人なら、一応診て貰おうという感じになるが、このような一見わかりにくいタイプの認知症で、しかも未治療の人たちは簡易鑑定を実施する流れにならない。検事さんも話があまりに通じないほどの精神症状があるなら、自らの判断で簡易鑑定を依頼するが、コミュニケーション的にそこまで異常性が感じられないケースもあるのである。特に素人目には。
かくして、万引き、窃盗を繰り返した前方型認知症の人は刑務所に行くことになる。刑務所に行く理由の1つは、前方型認知症の人はわりあい年齢が若くで発病しているからである。若い世代の認知症を集めると統計的にも前方型認知症が相対的に増えることが知られている。(かなり年寄りなら刑務所生活は耐えられないのもあり、もう少し違った処遇も考慮される)
これは最も傷つくのは本人とその家族の名誉であろう。実際、それまで社会的にも成功を収め、その都市の名士だった人がこうなることもありうるのである。まさしく、面目丸つぶれというか、大変な恥である。
唯一、弁護人や国選弁護人などが彼を救う可能性が残るが、彼らも忙しい。結局、本来、刑務所は矯正施設のはずだが、このタイプの認知症の矯正は無理なので、出所直後にすぐ再犯が起こる。前方型認知症は極めて治療が困難な認知症の1つなのである。こうして警察署、検察庁というか、最初に戻るのであった。
遂に、素人の検事もこの人はおかしいのでは?と気付く。結局、精神疾患を発見するのは法律家だったりするのである。
人生の晩年に、こんな疾患で、しかも誰にも発見されず刑務所に行くなんて最悪だと思うよ。本人の過失でもなんでもないのに・・
ここまで長々と書いてきた理由の1つは、法律家が法律には専門家であったとしても、精神医学的にはしょせん素人と言うのを指摘したいからだ。このエントリで出てきた前方型認知症と極めて似たような患者さんの簡易鑑定をしたことがあるのだが、検事さんは全く普通の人と思っていた。広い意味の認知症とは全然気付いていなかったのである。
検事にしろ弁護士にしろ、人権を守るとか、正義を貫くとかそういう理念があるのなら、まず専門家の意見も謙虚に聞くことだ。
最近、精神鑑定書不採用による有罪を許さない最高裁判決が出ている。(参考)